PREV | NEXT | TOP

チェイリードの娘

15

 屋敷に戻ったソニエを、これまでにないくらい渋い顔の執事が迎えた。
「……何をお考えなのですか。旦那様の命令に背かれるとは」
 神経質な苛立ちを滲ませた声が、彼女を叱責する。
 やがてレオンの目が、彼女の隣に立つカレンに向けられると、ソニエは強い声で言った。
「間違ってもカレンを叱らないでちょうだい。すべて、私が我侭で押し通したことです。それに……、セディックには黙っていればいいでしょう。こうして私は帰ってきたのだから。何事もなかったように、私が彼を出迎えれば、あなたがたは何の叱責も受けないわ」
「…………」
 自分でも驚くほどにすらすらと、強気な発言が飛び出した。
 レオンは少し圧倒されたように押し黙り、それからひどく苦々しい目で彼女を見た。
 この男がいかにセディックに忠実か、ソニエは知っている。
 自分の発言が、彼の自尊心を踏みにじってしまうかもしれないことも、承知していた。
 しかしそのようなことはもう、ソニエに関係がない。
 この屋敷に住まう者、セディックに仕える者すべてが彼女の敵なのだ。
「……セディックが戻るまで、部屋にいます。誰も近づかないでちょうだい。――カレン、あなたは今日はもう、家に帰って休んでいいわ。我侭につき合わせて悪かったわね」
 ソニエは意図的に冷たく言い放つ。
 これでカレンは、これから起きる騒動に関わらずにすむだろう。
 深く頭を下げて屋敷から出て行くカレンの姿を確認すると、ソニエは自室に向かうべく階段を登った。
 部屋へ続く廊下で、今まで彼女を探し回っていたであろう使用人たちとすれ違う。
 彼らは一様に、じっとりとした目でソニエの動きを追った。
 よくも厄介ごとを起こしてくれたという、非難がましい目線だ。
 それらに一切気付かないふりをして歩く。
 やがてソニエが自室に入るのを確認すると、彼らも各々の持ち場に戻っていった。
 部屋に戻ってからしばらくは、耳をそばだてて屋敷の様子をうかがう。
 ソニエが帰宅したことで、ひとまず屋敷の騒動は鎮静化したようだ。
 それ以降二階で使用人の足音が聞こえないところをみると、セディックの部屋の準備はすでに終わっているにちがいない。
 同じ階の東端、彼女の部屋からもっとも遠い場所に位置する夫の私室。
 その方角へ神経を尖らせながら、ソニエは心を決めた。



 主人の帰宅を前に、彼の部屋の鍵はやはり開いていた。
 日頃は執事のレオンが厳重に管理しているが、セディックが帰宅する直前にはその施錠がとかれる。
 まさか今この瞬間にソニエが部屋に忍び込むとは、レオンも思いも寄らなかっただろう。
 ソニエがセディックの部屋に入ったのは、随分前にたったの二度だけだ。
 それ以後、彼女は彼の部屋に近付こうと考えたことさえ無い。
 何も知らず言われるがままに、ほぼ自室のみで生活していたソニエの従順さは、ある程度セディックやレオンを油断させていた。
 音をたてぬように扉を開き、その僅かに空いた隙間から、体を忍び込ませる。
 嫌な緊張を感じながらも、あっさりと侵入に成功した。
 午後の鈍い明るさが漂う広い室内。
 もう何日も使われた形跡のない、大きな寝台。
 シンプルな木彫りのテーブルと、くすんだ色のソファー。
 無駄に飾り立てた屋敷のほかの場所に比べれば、随分と味気ない部屋だった。
 おそらく使用人によって用意されたばかりであろう、コンソールの上の花瓶に活けられた赤い薔薇。
 それだけが唯一目を引く装飾品だ。
 必要最低限の家具以外、とくに目立ったものもない。
 人の生活感というものを感じさせない空間だった。
 初めて見るわけではないので、驚きはしない。
 それに、考えれば別段意外なことでもなかった。
 ファルデロー家はこのアラトリムに、他にも二つほど屋敷を所有している。
 どちらも破産した貴族から買い取ったものだというが、セディックは生活の大半をそのいずれかの屋敷で過ごしているらしかった。
 あのシェリル嬢もそちらのほうへ通いつめているという。
 ひょっとしたら過去にも、そこに愛人を住まわせていたのかもしれない。
 彼がたまにしかこの屋敷へ戻らないのには、そういうわけがあるのだ。



 ソニエは部屋の奥へと進み、慎重に目当てのものが収納されている場所を目指した。
 応接間や寝室の役割を果たす空間の奥。
 そこに書斎と思しき小部屋がある。
 壁一面に設置された書棚にはびっしりと、やけに分厚い書物が並んでいた。
 ソニエには題名すら読み取れないような、外国語で書かれたものが大半だ。
 中には相当古めかしいものもある。
 とくに目立ったものも見当たらない机の上に目を走らせたあと、その視線が少し高い位置にある壁面にとまった。
 壁に取り付けられた装飾的なボードに、金属と木でできた見慣れない物体がかけられている。
 それが何なのかは知っていた。
 西方の国で開発されたという、火薬の圧力で弾丸を発射する小型の武器だ。
 ――『銃』、という名をもつらしい。
 現王朝による平和な治世が続くこの国では、そのような戦いの道具は人々には無縁のものだ。
 ゆえにあまり世間には知られていない代物であるが、セディックはとりわけ、異国の新しいものに目がない。
 この火薬を使う武器も、屋敷に招いた異国の商人から、彼が高額で買い受けたものだった。
 手もみする商人を傍らに、庭で試し撃ちをしている姿を目撃したのは記憶に新しい。
 凄まじい音を鳴らす武器だったので、自室でその音を聞いたソニエはひどく震え上がったものだ。  
 しかし、その貴重な品がこの場所に置かれていることは、いささか不自然であった。
 彼が買い集めた異国の珍しい品々や芸術品は、そのほとんどが彼の部屋ではない場所に無造作に飾られている。
 この地味な部屋には、そういったものが一つも無いのに、この銃だけがここに飾られているのは妙な感じがした。
 気になりつつも、とりあえず今は一刻も早く目的のものを探し出そうと考え直す。
 再び机を探りはじめた。
 目的はただ一つ。
 ソユーブのすべてを握った重要書類。
 紙切れ数枚の権利証書ゆえに、ソニエの大事な故郷はあの男に踏みにじられている。
 引き出しを上から順に開けていき、それらしいものを探した。
 最下段の深めの引き出しを開いたとき、胸が一気に高鳴った。
 金属製の小型金庫のようなものがそこにおさまっていたのだ。
 ソニエはそれを両手で抱えあげて机の上に置く。
 その金庫を前に、心は勝利を得たように歓喜した。
 もはや、目的のものを手に入れたも同然だと確信したからだ。
 頑丈なつくりの金庫には、当然に鍵がかかっている。
 しかし鍵のありかにも、とっくに見当がついていた。
 すかさず本棚から、ある部分の本をまとめて数冊抜き取る。
「……やっぱり」
 目にしたものを前にして、思わず声をもらした。
 目隠しになっていた本を取り除くと、そこには細かな模様の壁紙に覆われた壁面が現れた。
 真正面の正方形型の一部分が、不自然な突起とともにかすかに浮き上がって見える。
 普通の人間が見れば決して気付かないだろう。
 視覚を狂わせる効果のある模様の壁紙が、巧妙にそれを妨げるからだ。
 だが、ソニエにはわかる。
 緊張と期待に胸が高鳴るのを抑えられない。
 震える手をなんとか制御しながら、その突起に手を当てて軽く押す。
「…………!」
 思った通りに、小さな正方形がクルリと反転して、あっさりと小さな空間が姿を現した。
 その隠し棚に、金色の鍵が一つ。
 ぽつりと横たわっている。
 それを掴み取ると、はやる気持ちで金庫に向き直った。 
 かつて二度だけ、ソニエはこの部屋に入ったことがあった。
 初めてこの屋敷へ来たときと、その後一度、つまらない所用で呼び出された時。
 この奥の書斎にも足を踏み入れていた。
 そしてしっかりと目撃していた。
 その時、隠し棚のある場所の本は取り去られ、無防備に晒された状態の壁が丸見えになっていたのだ。
 セディックにしてみれば、まさかソニエがそれだけの状況で隠し棚だと気付くことを、想像さえしなかったに違いない。
 怯えて小さくなるだけの彼女に、そもそもそんな警戒心さえ抱かなかっただろう。
 けれどソニエは、生まれ育った環境ゆえにそういったものに非常に目ざとくなっていた。
 彼女が育ったチェイリードの屋敷はとにかく古い。
 あちらこちらに先人の残した仕掛けが組み込まれており、子供の頃、好奇心からそれらをいじり倒すことを楽しんでいた。
 祖母でさえ知らない仕掛けがあった。
 そして未だに誰にも発見されていない秘密が、まだあの屋敷にはある。
 そんな場所で育った人間にしてみれば、このような新しい屋敷のごく単純な仕掛けなど、取るに足らないものであった。
 現に、そこに鍵はあったのだ。



PREV | NEXT | TOP
Copyright (c) 2007-2008 sayumi All rights reserved.