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チェイリードの娘

17

 ソニエの部屋には、鍵がかけられた。
 外からはもちろん、中からも同じ鍵がないと開けられないという特殊な鍵だ。
 ソニエがこの屋敷に来た最初の日から、彼女の部屋にはそんな鍵が設置されていた。
 それが今、初めて現実に使用されている。
 もはや監禁とは名ばかりのものではなくなった。
 屋敷内でさえ自由に動き回ることは許されない。
 おそらくもう、外に出ることは不可能だった。
 屋敷という建物ではなく、一つの部屋に閉じ込められてしまったのだ。
 庭の隅に植えた薬草も、手入れをするものがなくては枯れてしまうだろう。
 だが彼女の犯した失敗の大きさは、そんなものでは済まされないものだった。
 決まった時間に食事が運ばれてくるだけのこの部屋で、ソニエは希望を失う。
 ただ己の愚かさを笑うしかなかった。
 せめてあの時……。
 シェリル嬢と出くわしただけの段階で、適当な言い訳をでっち上げてでも、あの場から逃げ出せばよかった。
 たとえ力ずくで彼女の追跡を振りほどいたとしても、なんとしても屋敷の外に出るべきだったのだ。
 セディックが帰宅するまでの、あのほんの少しの時間に、できることはあったはずだ。
 目的の権利証書は、しっかり手の中にあったというのに……。
 ソニエは寝台の上で膝を折り、頭を抱えた。
 ――――アリュース……。
 最後に会ってから三日。
 おそらくもう、アラトリムに戻っているだろう。
 そしてソニエの愚行を知り、ケスパイユ候共々あきれ返っているに違いない。
 彼女を救い出そうとした彼らの善意を、たった一度の軽率な行動で、全て無駄にしてしまったのだ。
 未来を手にする唯一つの方法。――それすらも。
 騒ぎの日以来、セディックはソニエの前に姿を見せなかった。
 しばらくこの屋敷にいることは確かなのだが、一度も顔を見ていない。
 彼がしたのはただ、レオンに命じてソニエをこの部屋へ閉じ込めたことだけだ。
 あの一件で、セディックは気づいただろう。
 ソニエが全てを知ってしまったことに。
 そうなるともう、彼はどんな手を用いても彼女を拘束し、隙をつくるようなことは一切ないだろう。
 激しい喪失感のもと、ソニエは虚ろな目で窓の外の晴れやかな空を見た。



 どのくらい、そうやってうずくまっていただろう。
 運ばれてくる食事にもわずかしか口をつけず、ほとんど水しか喉を通らない。
 機械的に任務をこなす召使いの女は、何も言わずに新しい料理をおいて、代わりに古いものをさげていく。
 それが何度か繰り返された。
 四日目の朝。
 浅い眠りに落ちていたソニエは、窓ガラスに響く乾いた音に眼を開いた。
 ――――コツン。
 ――――コツン。
 途切れ途切れに響く、何かがぶつかるような音。
 緩慢な動きでベッドから起き上がり、窓際の方へ歩み寄った。
 ――――コツン。
「…………!」
 一瞬驚いて後ろに倒れそうになる。
 窓ガラスに、小石がぶつけられていたのだ。
 おそるおそる、窓の下に目を向けると、一人の少年がこちらに向かって目一杯両腕を振っていた。
 何事かと不思議に思いながら、ソニエは窓を開く。
 ソニエと似たような栗色の髪、そばかすの浮いた子供らしい可愛い顔。
 その少年の顔には見覚えがあった。
 少し前から屋敷に出入りを繰り返している、庭師の見習いの少年だ。
 彼は大げさな身振り手振りで、何かをソニエに伝えようとしている。
 ソニエが口を開きかけると、彼は自分の口元に人差し指を立てて、しきりに沈黙を促した。
 そして少年は、足元に置いていたものを抱え上げて彼女に見せる。
 それを目にしたとたん、ソニエの目に生気が蘇った。
 ――――青い、薔薇の花束。
 心に熱い情動が沸き起こり、思わず視界が潤んだ。
 口元を手で覆い、心の中で何度もその人の名を呼ぶ。
 ――――アリュース。アリュース!
 少年は花束を抱え、なんとかソニエに渡したいのだと目で訴えている。
 しかし、彼女の部屋は二階だ。
 花束を投げて届く距離でもない。
 ソニエはしばし考えて、それからある方法を思いつくと、少年に少し待つように合図した。
 部屋のクローゼットを開き、中から絹の肩掛けを引っ張り出す。
 そして手芸箱からハサミを取り出して、その肩掛けを端からまっすぐに切り裂いた。
 細長い切れ端を何本もつくり、それらを全て繋ぎ合わせていく。
 やがて目的に役立つ形状に完成すると、それを持って再び窓際へ走った。
 いくつも結び目のついた紐状の布地をそっと下へ降ろしながら、少年に手振りで合図する。
 少年は心得たように受け取った布紐の先を、花束の根元にくくりつけた。
 それをゆっくりと引き上げると、青い薔薇は無事にソニエの手元にたどり着いた。
 手にしたその美しい花達を、ふわりと胸に抱きしめた。
 ――――アリュース。
 ――――ありがとう、アリュース。
 下から見上げている少年に、手振りと表情でお礼の意を示す。
 彼は少し照れくさそうに笑って、そのまま駆けて行った。
 少年が誰にも見咎められずに庭の外へ出るのを見届けると、ソニエは窓を閉めて寝台に腰掛けた。
 十何本もある薔薇の中、予想どおりそのうちの一本に結び文がついていた。
 はやる気持ちをおさえて、その細かく折り畳んだ手紙を広げる。
 やや焦り気味の文字が、つらつらと連なっていた。 

 きみのことを思うと心配でいてもたってもいられない。
 今すぐにでもファルデローの屋敷に殴りこみに行きたいが、それではきみを助けられない。
 計画的にきみを救い出す。
 どうか僕のいうとおりに行動してほしい。
 明後日の夜、セディック=ファルデローは大公家主宰の夜会に列席するはずだ。
 彼が外出し、屋敷の人間が寝静まった頃を見計らって、裏門まで出てきて欲しい。
 きみの部屋の鍵の複製をカレンが用意してくれた。
 これを使って出てきて欲しい。
 くれぐれも、慎重に――――。


 
 よく見ると花束を束ねるリボンの結び目の中に、銀色の鍵が隠されている。
 滑り落ちないように、薔薇の茎の部分に糸でしっかり撒きつけてあった。
 ソニエはさすがに驚いた。
 いったいどうやってこんなものを手に入れたのかと。
 そして、カレンが完全にこの件に関わってしまっていることに、心の痛みを覚えた。
 しかしそれ以上に、無責任にも、ソニエには喜びのほうが大きかった。
 ついさきほどまで死んだように闇に沈んでいた心が、今は与えられた希望への感謝の思いで生彩に満ちていた。
 もう二度と、その場の感情にまかせて無謀な行動は起こすまい。
 アリュースの言ったとおり、慎重に行動することを誓った。



 数日振りにまともに口をつけられた食事を見て、若い召使いは少し驚いた風だった。
 それでもソニエは、ベッドの上でうずくまる素振りを続けていた。
 こうすることは必要だった。
 異変を、悟られてはいけない。
 そんな彼女の姿を見ながらも、召使いは何事もないように部屋から出て行った。
 ――――カチャリ。
 律儀に、決して忘れることなく鍵をかけていく。
 誰もいなくなった部屋で、ソニエは手に握りしめていた銀色の鍵を見た。
 ――――大丈夫。きっとうまくいく。
 何度も言い聞かせるようにして、心を落ち着かせる。
 約束の夜は二日後だった。



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