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チェイリードの娘

20

 希望の花は、ほぼ三日ごとに届いた。
 早朝に屋敷の門前にそっと置かれているというそれを、こっそりと召使いの彼女が届けてくれる。
 状況を気遣ってか、花には以前のような文はついていない。
 けれど、言葉はなくても十分だった。
 どういう手段を用いているのかわからないが、アリュースがこうしてソニエに希望を届け続けてくれるのだ。
 それだけで心が救われる。
 もう一度生きて、彼に再び会える日が来ることを信じたいと思った。 



 ソニエが散々迷惑をかけたその召使いの名は、メグといった。
 メグの説得を受け続け、わずかずつだが食事もとるようになった。
 最初は胃が固形物を受け付けず、スープしか口にできなかった。
 けれど少しずつ、ソニエの体調を気遣ったメニューにも助けられて、通常の食事も食べられるようになった。
 自分で思っていた以上にたくましかったらしい体は、みるみるうちに生命力を盛り返していく。
 少しずつ打ち解けたメグと話をしたりして、元気を取り戻し、やがて季節は本格的な夏に移り変わろうとしていた。



 ソニエが元気でいられたのは、セディックが一切姿を見せないおかげでもあった。
 このまま二度と彼の顔を見なければ、すこぶる健康を維持できる気がしていた。
 だが、そんな都合の良い日は長くは続かなかった。
 強い夏の日差しがアラトリムに降りかかるようになった、そんなある日の午後。
 食事を終えてメグと話しながらハーブティーを飲んでいると、部屋の扉が乱暴に開いた。
 メグは弾かれたように立ち上がり、深々と頭を下げ、そしてソニエの背後に下がって食器の片付けを始める。
 入ってきた男を、ソニエは嫌悪の表情を隠しもせずに見上げた。
 その態度に、セディックは口の端だけを上げて笑う。
 そして、食事が綺麗に片付けられた食器類に目を向けながら言った。
「抵抗運動はあきらめたようだな」
 更にテーブルの上、クリスタルガラスの花瓶に活けられた青い薔薇に目をとめると、見透かしたような表情を浮かべ、鼻で笑うような素振りを見せた。
 嫌な沈黙の中に、遠慮がちに食器のふれる音だけが響く。
 セディックはソニエを見据えて、唐突に命じた。
「外出の用意をしろ。二時間以内だ。いいな」
「…………」
 こちらから何か応答する間もない。
 説明も何も無く、ただ要件だけを言い捨てると、男は身を翻してさっさと部屋から出て行った。
 ソニエは彼を呼び止めることはしなかったが、眉をひそめてセディックの去ったドアのほうを見た。
 その場にいたメグも、手をとめて不審そうな顔を浮かべている。
 二人は顔を見合わせて、互いに良くない予感を抱いていることを確認しあった。



 セディックがソニエをどこへ連れて行くつもりなのか、想像すると恐ろしくてたまらなかった。
 しかしここ数日の間に、ソニエの中に覚悟はできていた。
 精一杯希望を信じて生きる。生きてアリュースに会えることを信じる。
 けれど、それでも願いが届かなかったときは……。
 せめて無様なことだけはすまいと心に誓った。
 セディックがソニエを使って何を企んだとしても、決して彼に屈しない。脅しに怯んで簡単に利用されたりなどしない。
 チェイリードの名を貶めるようなことはしない……。
 そう心に決めた。
 ドレスの着替えをメグに手伝われながら、鏡に映る自分に言い聞かせた。
 ――――大丈夫。
 ――――離れていても、きっと心は通じ合っている。
 テーブルの上の青い薔薇に目を向けて、勇気を奮い起こした。
 瑞々しく華麗に咲き誇る、優しい色の花。
 その存在だけが、ソニエに力を与える。
 ウェストのリボンを結びながら、背後でメグがためらいがちに口を開く。
「……あの、ソニエ様……」
 彼女はあまり積極的なタイプではないらしく、いつも何を話すのも遠慮がちに話しかけてくる。
 少しソニエと似たところのある女性だった。
 だが今は、その遠慮の度合いが通常のそれとは違っているように見えた。
 話し始めたものの、再度躊躇して言葉を発せずにいる。
「どうしたの? ……メグ?」
 ソニエもまた遠慮がちに問い掛ける。
「…………」
 手だけは手際よく動かしながら、メグはなおもためらっている。
 鏡にうつる彼女の顔はひどく神妙だった。
 ソニエを心配してくれているのかと最初は思ったが、どうにもそれだけではないらしい。
 どう切り出せばよいのか、思いあぐねているようだ。 何度も口を開きかけては閉じる。その動きを繰り返した。
 やがて思い切ったように、彼女は鏡の中のソニエと目を合わせる。 オリーブグリーンの柔らかい瞳が控え目にこちらに向けられていた。
 そしてメグは途切れ途切れに、たどたどしく話した。
「旦那様は、その……、ソニエ様を、ひどい目にあわせたりは、なさらないような気が……」
 このメグの言葉に、ソニエはしばらく呆気に取られた。
 長い間無言が続き、その間にいつのまにかドレスの着付けが終わっていた。
 鏡台の椅子に座るよう促される。
 腰かけたソニエの栗色の髪を丁寧に解かしながら、メグは慣れた手つきでそれを結い上げていく。
 器用に作業を進めながらも、鏡に映る彼女の顔は、ソニエの反応を恐れているかのように強張っていた。
 ややあって、ソニエは気の抜けたような乾いた笑いをこぼした。
 完全に失笑だった。
「――ひどい目? そう言ったわよね? ……そんなもの、ひどい目というならもう散々合わされてきたじゃない」
 あまりに見当違いなメグの発言がおかしくて、場違いな笑いさえこぼれてしまうのだ。
「メグ、どうしてしまったの……? どういうつもりでそんなことを言うの? あなただって、見たでしょう、力ずくで食事を押し付けてみたり、それでなくともこの部屋に監禁したり……」
 鏡の中で、メグが申し訳無さそうに俯くのが見えた。
 部屋の鍵を預かっていたメグは、監禁に関する責任の一端を自分に感じたのかもしれない。
 ソニエは少し不用意な発言だったかもしれないと、心を痛める。
 けれどメグのひどく的外れな発言だけは、きっぱりと否定しておきたかった。
「あの男は敵なのよ。セディックがいる限り、わたしは大切なものを失い続ける」
 結い上げた髪の後れ毛を、一つ一つピンで留めていきながら、メグは軽く目を伏せる。
 彼女はそれ以上、何も言わなかった。



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