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チェイリードの娘

28

「――おじ様、見せたいものって、何なのです?」
 屋敷の一階にある、倉庫のような一室。
 そこは、廊下や応接間などには展示しきれない、大量の発掘品や骨とう品で埋もれかえっている。
 闇の中で目にする、古めかしいそれらは少し恐ろしかった。
 アリュースのことについて、そして大公家の動向について、自己の所見を語ったのち、ケスパイユはソニエをこの場所へ誘った。
 ――――『おまえに、見せておきたいものがある』
 神妙な面持ちでそう話し、彼はソニエを食堂広間から連れ出したのだ。
「まあついて来なさい。そう恐がることはない。……足元には気をつけるんだよ」
 ケスパイユの後ろから、人一人が通るのもやっとの隙間をかいくぐって、部屋の奥へとたどり着く。
 彼が持った蝋燭だけが唯一の光源であり、非常に足元がおぼつかない感じがした。
 ある場所でしゃがみこむと、ケスパイユはそこら一帯の床板をおもむろに外してゆく。
 そしてソニエをそこに呼び寄せた。
 上から覗き込むと、正方形の穴の中に、暗闇の地下へ伸びる階段のようなものが見えた。
「おじ様、これは……」
「私の前にこの屋敷を使っていた人間が、趣味で掘った地下らしいんだが、少し興味深いものがあるのだ」
「興味深いもの……?」
 ケスパイユは頷き、そして真剣な目で語った。
「ひょっとすると、おまえの一族に関わるものかもしれないと、私は考えているんだ。人目に晒すのは憚られるものなんだが……、おまえにだけは見せておきたい」
「…………」
 ソニエは眼下の地下へ目を向ける。
 底無しのような闇の空間を前に、足がすくむ。
 なかなか階段に足をかける勇気は出せなかった。
 怯える彼女に、ケスパイユは軽く笑った。
「ああ、そうだった。おまえは暗闇が苦手だったね。大丈夫だよ。私が後ろについてるし、ちゃんと足元だって、ほら」
 彼は手にした蝋燭をかざし、階段の降り口を照らす。
 真っ暗だった空間の少し先が姿を現した。
「……手を、握っていてくださる?」
 おどおどと差し出した左手を、ケスパイユは少し笑いながらもしっかり握った。
 それに勇気付けられるように、ソニエはそっと階段に足を伸ばす。
 ドレスの裾を踏まないように気をつけながら、一段、もう一段と降り進んだ。
 後ろに続くケスパイユが、彼女の手を握りながらしっかり足元を照らしてくれる。
 慎重に降りていくうちに、ソニエの恐怖も若干和らいでいった。
 暗闇に目が慣れてきたこともあり、周囲を観察する余裕が生まれる。
 階段脇の壁には動物の姿を描いたような古い壁画が見られ、彼女を驚かせた。
 通常並の段差をもつ石段は、ゆるやかな螺旋を描いて地下へと伸びている。
 思っていたほど深くはないらしい。
 


 階段を降りきると、その先は通路が続いていた。
 坑道のような細長い路が一直線に続き、その先にかすかな灯りが見える。
 やや下り坂になっているその長い通路を、ソニエは進んだ。その先に何があるのかと、少し脅えながら。
 彼女の靴音と、後ろに続くケスパイユのそれが静寂の空間に反響する。
 やがて目指す先の光が近づいて、視界が開けた時……。
 ソニエは目を見張り、息をのんだ。

 ――――これは、一体……。


 広かった。
 ここに至る通路や入口の規模に比べれば、桁違いの広さを誇る地下空間が目の前に現われた。
 巨大なドーム状の部屋だ。
 おびただしい数の蝋燭が、壁際に連なる階段状の棚にびっしりと並んでいる。赤い光が濃厚に、広大な空間に満ちていた。
 床には整然と板が敷き詰められており、抽象的な形状をした奇妙な木製のオブジェが、整列するように規則正しく立ち並んでいる。
 そして高い天井から吊るされた何本もの細長いヴェールが、不思議な形で空間に彩りを添えている。
 ソニエは言葉も無く、ただ呆然とその中へ足を進めた。
 入口からずっと奥の、ちょうど正面の方角に、なにか四角い台のようなものが見える。
 胸の高さほどの細長い台は鮮やかな文様の布に覆われ、側に置かれた円卓には、多種多様の形状をした陶器の壷やガラスの瓶が大量に並んでいた。
 そのすぐ後ろにそびえ立つ、間仕切りのような四角い壁は、ひときわ目を引く存在だ。
 幾何学文様のレリーフが施されて、上から一枚の巨大なタペストリーのようなものが釣り下がっている。
 しかしタペストリーは中央の絵柄を隠すかのように、上から白い布を被せられており、そこに何が描かれているのかは見ることができない。
 いっそ禍々しい空間にわずかに恐怖心を抱きながらも、それらのすぐ近くまで進んだとき――。
 祭壇のようにも見えるその四角い台の隣、そこにある大きな衝立(ついたて)風の置物に目がとまった。
 正確には、その影から見えるものに、だ。
「…………」
 ソニエは不審に思って目を凝らす。
 少しずつ近寄りながら、やがて確信を抱いた。
 それはごく鈍い動きだが、”生きている”。
「……まさか」
 衝立の端から覗いていたのは、あろうことか……、――人間の足だったのだ。
 黒いブーツを履いた人間の膝下部分がはみだして見える。
 痙攣したように動いていた。
 ソニエの耳にかすかな声が聞こえた。
 その声に過剰に反応し、冷静さを失って近づいていった。
「……だ……」
 声が苦しげに叫んでいる。
「来……、……ダ…、だ……」
 間違いは無かった。
 それは、その声は……。
「――ソニエ! 来て、は、だ…めだ……っ!」
 ソニエはビクリと足を止める。
 渾身の力を振り絞るような、掠れた叫び声が空間に響き渡った。
 同時に、鈍い動きをするその足が衝立を蹴り倒し、彼女の目の前に黒髪の青年が姿を現した。
 四肢を縛られ、目隠しをされた状態で、力なくそこに横たわっている。
 ソニエは瞠目し、悲鳴のように叫んだ。
「……アリュースっっ!?」
「来…るな、ソニエ! 来ては、……いけない! 逃げろ! この、屋敷から、出るんだ……っ!!」
 病的に苦しげな呼吸を繰り返しながら、アリュースは声をあげ、彼女が近寄るのを阻止しようとした。
 何が何だかわからないソニエは、ただその場に立ち尽くす。
 もう一人の人間の気配が近づくのを察した青年は、これまで以上の悲壮な声で叫びを上げた。

「――その男から離れろぉぉぉぉぉ!!」

「…………っ!」
 壮絶に響き渡る彼の叫びを理解するより早く、ソニエは背後から体を拘束されていた。
 瞬時に両手首に巻きつく、冷たい金属の感触。
 状況が理解できずに、抵抗することもできなかった。
 自分の首下にがっちりと巻きつく男の腕。
 視界に入る衣服の袖の模様には、見覚えがあった。
 ――――どう、して。
「……おじ、さま?」
 それでも信じられずに、ぎこちない動きで、ソニエは後ろに顔を向ける。
 彼女を間近に見下ろす、見知った顔。
 さきほどまで優しく笑いかけていた顔。
 ソニエを温かく包み込んでくれる大切な人。
 その人の、――顔。
 ゆるやかに、しかし凄まじい勢いで、ソニエの両の目が極限にまで開かれた。
 瞠目したその目を動かすこともできず、ただただ相手の顔を凝視する。
 いくつもの皺を刻んだ顔が、ソニエに向かって微笑んでいた。
 たしかに微笑んでいた。
 しかし。
 そこにあるグレーの瞳は、爛々と異常な輝きを放ちながら、おかしなほどに見開かれている。
 口元は半開きの状態で歪んだ三日月形をつくっていた。
 硬直したソニエの体をギリギリと締め付けたまま、狂気に躍った声が語りかける。
「やっと、やっとだ……。ソニエ、ソニエ=フラン=チェイリード……。やっとおまえを、手に入れた……!」
「…………」
 完全に気が動転したソニエは、目の前の男の狂態が頭では信じられず、しかし本能的にそれから逃れようと、体をよじった。
 がっちりと締め付けてくる腕を振り解こうと、懸命にもがく。
 しかしその瞬間、ぐにゃりと、膝下に奇妙な脱力感を感じた。
 それを予期していたかのように、男は彼女を拘束していた腕を解く。そしてその足元に、ソニエの体は崩落した。
「……ソニエ!」
 聴覚だけで状況を察したアリュースが、身動きの取れない状態で叫ぶ。
 その声を片耳にとらえながら、ソニエは呆然と己の足を見ていた。
 力を入れて、なんとか動かそうとする。
 しかし、ぴくりとも動かない。
 ――――力が、入らない。
 鉛のように重い下半身は、地面に縫い付けられたように、少しも指示に従おうとはしなかった。
 新たな恐怖に、冷たい汗が彼女の額を湿らせる。
 痺れたような感触。
 自分の体が自分のものでないような違和感。
 もがくソニエの上にかかる、男の黒い影。
 恐怖に見開いた目をゆっくり移すと、男は狂気の笑みを浮かべたまま立ちはだかっていた。
「薬が、効いてきたようだ」
「……おじ様、いったい、どうなさったの。これはなんの真似なのですか……」
 ソニエの目に、銀色に光る刃が目に入った。
 ヒっと喉を鳴らして、男の手の中にあるその凶器から遠ざかろうとする。
 上半身をばたつかせて、なんとか体を動かそうと足掻いた。
 そのたびにガチャガチャと、背中から響く金属音。
 両腕に何重にも絡みつく細い金属の鎖。それが地面にこすれて、耳障りな音をたてた。
 一心に動かす上半身からも、しだいに麻痺したように力が抜けていく。
 痺れた感覚は足から腰、胸や腕へと這い上がり、ついにソニエは地面に横たわったまま動きを失った。
 男はソニエの上にまたがり、彼女の頬にゆるゆると手を滑らせた。
 冷たく乾いた皮膚の感触。
 慣れ親しんだはずの少しごわついた大きな手が今、彼女の昇りつめていた恐怖を、容赦なく煽りたてる。
 呼吸が苦しく、声が出ない。
 視界が薄く曇り、全ての感覚がぼやけてゆく。
 思考回路が死んでゆく。

 ――――おじ様、どうして……。

 必死の抵抗もむなしく、ソニエの意識は激しい恐怖と疑問のうちに暗転した。



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