ナ ツ ア オ イ

恋と秘密 1



 七月の第四日曜日。
 終業式を終え、待ちに待った夏休みを迎えた最初の日曜、毎年恒例の岩上神社の夏祭りが行われた。
 あたしたちの願いは届いたらしく、その日は朝から快晴だった。夕方に一度だけ夕立が来たけれど、すぐに止んでくれた。
 一番大きな夏行事ということもあって、町全体が盛り上がる日だ。
 神輿(みこし)を担いだ地元の子供達が、朝早くから町内を練り歩き、境内の下にある沿道にまでたくさんの縁日の屋台が立ち並ぶ。
 掛け声や太鼓の音で、一日中あちらこちらが賑やかだった。


「ねえー、変じゃない? どこかおかしくない?」
 鏡に自分の後姿を映しながら、あたしはお母さんに尋ねる。
「はいはい、変じゃないわ。よく似合ってるわよ」
 お母さんは自分の浴衣の着付けを終えて、衣装箱の片付けをしていた。
 こっちを見もせずに半分呆れた声で、さっきと同じ言葉を繰り返す。
「うーん……」
 ほぼ一年ぶりに袖を通した浴衣は、慣れるまではなんだか違和感があって落ち着かない。
 一昨年に新調してもらった、薄い桃色の浴衣。全体に花模様が散っていて、帯は山吹色だ。
 一目ぼれした色柄だから、気に入ってはいるんだけど。 どこか崩れてないか、とか気になって何度も鏡の前でポーズを取っていた。
 (髪型、ちょっと気合入りすぎ?) 
 一部編みこんでアップにした髪に、お花の簪(かんざし)を挿している。 丸顔が更に丸くなって見える気がして、鏡の中の自分とにらめっこしていた。
 (……やっぱり似合ってない?)
 でもせっかく浴衣なんだから、普段とは違う格好で頑張ってみたいわけで……。 あたしも夏になるとテンションあがるよなぁと思う。 
「お母さーん、なんか帯が苦しいんだけどー」
「ナツ、あんた毎年同じこと言ってるわよ。それくらいが普通なの。洋服とは違うんだから」
「うーん……」
 浴衣も大事だけど、縁日で色々食べることも大事な目的だった。 だからあまり胃を圧迫させるわけにはいかない。
 あたしは鏡の前で正面に向き直り、最終チェックをして気合をいれた。
 (よっしゃぁ、今日もたくさん食べるもんね!)
 腰を曲げて変なガッツポーズを取ったところで、部屋の襖(ふすま)が外から開いた。
「準備できた?」
「…………」
「……なにやってんだ?」
 アオイが少し引きつった顔であたしを見ている。
 中腰の”がに股”状態で固まっていたあたしは、軽く咳払いをして、何事も無かったかのように姿勢を戻す。 そして着物の衿(えり)を整えた。
 (ったく。ノックくらいしてよね、ノックくらい)
「母さん、俺たち先行ってる。友達と待ち合わせてるし」
 準備オッケーなあたしを確認すると、アオイは押入れでゴソゴソやっているお母さんに声をかけた。
「そうね。あたしたちは後から顔を出すわ」
 濃紺の古典的な柄の浴衣を着たお母さんが振り返る。 しだれ桜に結んだ薄い藤色の帯と、とてもバランスが取れていた。
 (ああ、お母さんやっぱり着物似合うよなぁ……)
 (お父さん、喜びそう)
 ……なんて考えながらニヤニヤしてると、アオイに軽く小突かれた。
「ほら、行くぞ」
「…………」
 小突かれた額をさすりながら、あたしは恨めしげにアオイを見る。
 でもすぐに気を取り直し、浴衣に合わせた巾着を手にとって、彼の後を追った。
「ナツ! 何時見てもかわいいなぁ……。似合ってるよ。実によく似合ってる……」
 リビングのドアから首だけ出していたお父さんが、目を潤ませて大げさなほど感嘆の声をあげた。 片手にはデジカメを持ちながら。
 浴衣や着物を着ると、毎年こうなのだ。
「あ、ありがと、お父さん」
 カメラのレンズを向けられながら、あたしは照れくさくて顔を赤くする。
 既に靴をはき終えたアオイが溜息をついていた。
「父さん、和服フェチなのはわかったから。つーか、毎年ながら親馬鹿すぎ」
 そのアオイはというと、ごく普通の普段着姿だ。
 一昨年に、あたしの浴衣と一緒にアオイのぶんも新調してもらったけど、 体が大きくなって次の年にはもう着られなくなってしまった。
 それ以来、祭りも花火大会も普段着で参加している。 新しいのを作ってもらえば、と去年も言ったけど、アオイはめんどくさいと言って逃げた。
 (アオイの浴衣姿、結構好きだったのにな……)
 そんなことを考えながら、あたしはサンダルを履いた。
 ゲタではすぐに足が痛くなる。アクティブに動けない。それに色々あるイベントにも参加しづらい。 だから、サンダル。浴衣なのにあえてサンダルで勝負に挑む。
「うわ、蒸し暑いな……」
 玄関から出るなり、アオイが顔をしかめた。
「さっき夕立きたからね」
「おまえ、浴衣着てるとかなりキツイだろ」
「うーん、キツイねぇ」
 他愛ないことを話しながら、あたしたちは岩上神社へ向かうべく道に出た。
 力強い太鼓の音や”八重里音頭”の軽快なリズムが、ゆるやかな風に乗って聞こえてくる。
 道ですれ違う近所の人の中にも、ちらほら浴衣姿の人がいた。


 神社の階段を登ると、境内の石畳の道に沿って夜店が並んでいた。
 途中の道にも屋台はたくさん出ていたけれど、ここまで来ると一際賑わいが大きい。 太鼓の音や集まった人間のざわめきがひしめいて、まるで巨大な宴会場のようだった。
「うーわぁー。この町にこんなに沢山人間がいたんだね」
「毎年のことながら、信じられない賑わいだな」
 夏祭りの時と初詣の時の年に二回、あたしたちは案外多い町の人口に驚いている。
 ふだん道を歩いていて人とすれ違うことも稀なのに、いったいどこにこれだけの人が潜んでいたのだろう、と思ってしまう。……まあ、実際半分くらいはよそから来た人なんだろうけれど。
 正面の鳥居をくぐったあたしたちは、”宴会場”の中心部とは違う方へ進む。
 この神社のシンボルであり、御神木といわれて祭られている、太いしめ縄が巻かれた古い巨木の方へ向かった。
 御神木の前の広場には既に、縁日とは別の大きな人だかりができていた。
「おー、集まってる集まってる」
 アオイは手を振りながら、その集団に向かって歩いていく。あたしもその後ろに続いた。
 人だかりの中に一人、プラカードを高らかに掲げている人がいる。
 ――『県立大山手高校ご一行様。(他校飛び入りも大歓迎)』
 文末にハートマークをつけて、あまり上手とはいえない文字がデカデカと書かれていた。
 そのプラカードの人があたし達に気付いて声をあげる。
「おっ、広川兄妹御到着〜」
 見たことのある顔だった。 確かアオイの同級生だったような気がする。腕に『青年会』の腕章がついているところを見ると、どうやら今年の高校組の幹事らしい。
 彼の声に反応して、周囲の人間が一斉にこっちを見た。
「アオイー! 誘っといておっそーい!」
 この間下足場で会った三年の女の子達が近寄ってくる。
 あたしはアオイの後ろから恐る恐るついていった。
 今年は妙に参加者が多い気がした。というより、あきらかにアオイのクラスの人が多いのだ。
 (そういえば熱心に呼び込みかけてるって言ってたっけ……)
 あたしたち町の住民は学校で、周辺地域に住んでる子達を祭りに呼び込む習慣がある。祭りを盛り上げるため、イベントを成功させるため、理由は色々あるけれど。
 高校最後の祭りということもあって、アオイは勧誘に相当気合を入れていたようだ。 クラス全員とは行かないまでも、軽く二十人近くいる。
「はいはい〜、広川くんと広川さん、これ、今日のスケジュールね。それからここ、名前書いて。”くじ”作るから」
 プラカードの人が、バインダーに挟んだ出席表のようなものと一緒に、あたしたちに白いビラのような紙を一枚ずつ配る。
 その紙面を見て、あたしはつい顔をしかめた。
 そこには今日のイベントの予定が記されている。 ……いや、予定というよりはむしろ、”地図”が大半をしめていた。 どうやらメインイベントである”きもだめし大会”のコース地図のようだ。
 この神社の裏手は相当広い森林になっていて、私有地だけど所有者の許可を得て、毎年きもだめしの会場に なっている。 子供の頃からの遊び場ではあったけど、一人で入るのは昼間でも少し恐い場所だった。
 勝手知ったるあたしでさえ、夜のその森はかなり恐ろしいのだ。 よそから来た子達は、本格的な恐怖を感じるに違いない。
 まさに絶好のきもだめしスポットだ。
 確かにこんな場所なら、町の男の子がちょっとカッコいいところを見せたりすれば、女の子は簡単になびいてくれるかもしれない。
 (なるほど、毎年欠かさず行われるわけだ……)
 先日のアオイの言葉を思い出しながら、あたしはぼんやりそんなことを考えていた。


「なになに、みんな可愛いねぇ。いいじゃんいいじゃん」
 アオイの浮ついた声で、思考から引き戻された。
 いつのまにか浴衣の女の子たちに囲まれて、アオイは自分のクラスの輪の中に入っている。
 アオイのクラスの女の子達は、みんな見事に浴衣姿だ。
 しかも大人っぽくて、綺麗な雰囲気な人が多い。 髪だってヘアメイクさんがやったみたいに華やかにまとめてあるし、ばっちりメイクもしてあって、 なにより皆揃ってスタイルがいい。
 あたしは自分の体を見下ろして、ガクリと肩を落とした。
 桃色の浴衣はいいとして、貧弱な胸、小学生でも持てそうな金魚の巾着、機能性重視の色気のないペッタンコサンダル……。
 まるで子供だ。
 ハア、と溜息をついて、アオイのクラスの集団から離れようと歩いた。
 まだ増えつつある人だかりの中で、唯と春香の姿を探す。
 二人ともこの町の住民だから、毎年欠かさず祭りにも青年会イベントにも参加している。
 (ひょっとして先に縁日のほう行っちゃったかなぁ)
 あたしは集団から離れると、キョロキョロしながら鳥居の近くまで戻った。
 巾着から携帯を取り出そうとしたところで、覚えのある声に呼び止められる。
「広川さん?」
「え」
 振り向いた先には、ちょうど今神社にやってきたらしい男の子と、浴衣姿の女の子。その二人連れがこっちに向かってくる。
 どちらの顔もよく知ったものだった。
「やっぱり広川さんだ。よかった」
「ナっちゃん、こんなところでどうしたの?」
「高梨先輩、……千鶴ちゃん!」
 あれ、なんで千鶴ちゃんと高梨先輩が一緒に……? って考えるより早く、あたしは千鶴ちゃんの姿に目を奪われていた。
「千鶴ちゃん、すっごい綺麗……」
 思わずウットリ言ってしまったあたしに、千鶴ちゃんは少しはにかんだように笑う。
「ありがとう。ナっちゃんだって、すっごい可愛いよ」
 その柔らかい微笑がまた魅力的で。 うっすら施されたお化粧が、千鶴ちゃんをいつもより大人っぽく見せている。
 薄紫の浴衣。手毬と桔梗が淡く描かれていて、とても綺麗だ。
 でも本当に綺麗なのは多分、浴衣以上に、むしろ着ている人間だろう。 いつもサラサラ流れていたストレートの髪が、今日は軽く結い上げられてヘアピンで留めてある。 アオイのクラスの人たちのように凝った髪型ではないけれど、すごく自然で、浴衣にも合っていて、なんというか……。
 ――なんというか、色っぽい。
 千鶴ちゃんの白い首筋に目が釘付けになっていたあたしは、はっと我に帰った。
 (まずいまずい)
 (なんかオヤジ的ないやらしい目を向けてしまった……)
 あたしは高梨先輩と千鶴ちゃんに向かって愛想笑いを浮かべた。
「あの、あたし、友達探してて……」
 その言葉に先輩が反応する。
「友達? って、あのいつも一緒にいる二人のこと?」
「え、あ、はい。そうですけど」
「なら、さっき坂の下で見かけたよ。二人して携帯覗き込んで、なんか騒いでるみたいだったけど。もうすぐ来るんじゃないかな……」
 先輩は階段下のほうに顔を向ける。
 そこにはまだ二人の姿は見えないけど、先輩がそう言うならきっとすぐに来るはずだ。
「そ、そうなんですか」
 (二人とも、まだ着いてなかったんだ……)
 あたしの家は唯や春香の家とは神社を挟んでちょうど反対側にある。 お互いに逆方向なので、途中で待ち合わせて一緒に来ることができない。だから毎年現地集合になってしまうのだ。
 あたしは高梨先輩の言葉に、少しほっとした。今はとても友達の顔が恋しかったから。
 その時、神木前の広場からアオイがやって来るのが見えた。
「高梨ーー! ……おっ、千鶴ーー!」
 アオイの声にドキっとして、あたしはつい千鶴ちゃんに目を向けた。
 千鶴ちゃんの目がキラキラしている。それに頬が少しピンク色だ。それは多分お化粧のチークじゃなくて……。
 その時あたしは、すごく濁った感情が動くのを感じていた。
 アオイに、ここに来て欲しくない……、って思った。 女のあたしでさえ見とれた千鶴ちゃんの浴衣姿だ。アオイがどんな反応するのか、絶対に見たくないと思った。
 もう一度チラリとアオイのほうを振り返り、そしてばっと目を逸らす。そのままあらぬ方向に顔を向けてしまった。
 (嫌だ嫌だ。なんで来るのよ、アオイ)
 こんなことなら、唯たちを迎えにさっさと階段を降りてしまえばよかったのだ。 そうすれば嫌なものを、見なくてすんだのに……。
 あたしたちのところまでやって来たアオイは、予想通り真っ先に千鶴ちゃんに言葉をかけた。
「うおっ、千鶴、すげーいいじゃん、その浴衣。めちゃ可愛いよ」
 現場から目を逸らしていても、千鶴ちゃんの反応は手に取るようにわかる気がした。
「あ、ありがとう」
 かすかに上ずって緊張した声。千鶴ちゃんの今の表情は、あえて見なくても頭に浮かんだ。
 恐いのはむしろアオイの顔を見ることだった。 もしアオイが少しでも頬を染めてたり、情熱的な目で千鶴ちゃんを見ていたら……?
 あたしはますます目を動かせなくなって、一刻も速く唯たちが到着することを祈った。
 そうやってひたすら階段の下へ視線を向けていたあたしに、思いがけず高梨先輩の声がかかる。
「広川さん」
 顔を上げると、先輩は穏やかに笑って広場の方を指差した。
「皆と一緒に、あっちで待ってよう。友達もきっとすぐに来るよ」
「あ……、は、い……」
 優しく声をかけてくれる顔を見ながら、あたしは弱々しく頷くしかない。逃げ出すタイミングを失ってしまった。
 ほんとは、あっちに行きたくなかった。 アオイのクラスの人たちとも千鶴ちゃんとも、今は近くにいたくないんだけど……。
 高梨先輩が広場に向かって歩き出し、千鶴ちゃんも、なぜかこちらをチラチラと見ながらそれに続く。
 あれ、アオイは……? と思ったところで、後ろから頭をガシっと掴まれた。
「……たっ」
 とっさのことに驚いた。
 あたしは手の主を見上げるや、体をバタバタさせる。
「なにすんのよアオイ! ちょっと!」
 アオイの手はワシワシと、かき回すようにあたしの頭を乱暴に撫でる。
 (ちょっと! 髪が崩れちゃう〜〜!)
 必死に抵抗して、なんとかアオイの手を引き剥がした。
「もう!」
 (これ以上ひどい姿になったらどうしてくれんのよ!?)
 (ただでさえ肩身狭い思いしたんだからね!)
 解放された頭を大事に抱えながら、あたしはアオイをじっとり睨む。
 だけどアオイは、清々しいとさえいえそうな笑みを浮かべていた。黙ったまま、妙に静かに笑っている。
 不審に思って眉をひそめかけた時、もう一度あたしの頭にポンと手を乗せた。
 そのままあたしの横を通りすぎながら、アオイは言う。
「ナツは可愛いよ。だから堂々としてな」
「…………」
 言葉の意味を考える余裕ができる頃には、アオイの背中は高梨先輩や千鶴ちゃんたちと並んで小さくなっていた。
 あたしはしばらくその場で固まっていた。
 『可愛いよ』なんて……、すごく軽い言葉だと思った。
 他の女の子達に言うのと同じ、アオイにとって特別な意味なんてないのだろう。
 でも……、あたしにとっては十分特別で。
 そんな簡単な一言で人一人の心を躍り上がらせてしまう、アオイが正直恐いとさえ思った。
 到着した唯と春香に名前を呼ばれるまで、そのほんの一瞬が、随分長い間のように感じられた。



 メインイベントの”きもだめし”が始まるまでは、一応自由時間だ。 みんな一度解散して、それぞれ縁日を楽しむことになる。
 すっかり気を取り直した単純なあたしは、唯たちと夜店の中をはしゃぎながら進んだ。
 唯も春香も、もちろん気合のはいった浴衣姿だ。
「りんごあめ! りんごあめ食べよう! あ! 綿菓子も〜〜」
「ナっちゃん、あっちあっち! 可愛いぬいぐるみ! みてみて!」
 主に騒いでるのは、あたしと春香だ。
 二人してキャッキャとウロチョロするあたしたちに、疲れた顔の唯が少し離れてついてくる。
「わーっ、超カワイイ! ほっし〜」
「でしょでしょ?」
 あたしと春香は連れ立って、”輪投げ”の屋台前で騒いでいた。
「でも、あれは難しいよ。一番遠いし、なんせ障害物が多い」
「う〜……」
 あたしたちが目を奪われたのは、両腕で抱えるほどの大きな白ウサギのぬいぐるみだ。
 フワフワした素材で、見るからに肌触りが気持ち良さそうだった。触った感触を想像しただけでウットリしてしまう。 多分、並んでいる景品の中でも特に高価なものだろう。その証拠に、とても取りにくい距離と位置にあった。
 たった三回しかチャンスの無いの輪投げで、あれをゲットするのは非常に難しい。
「でも一度だけ! チャレンジしてみない?」
 春香があたしの浴衣の袖を引っ張って懇願するように言う。
 あたしも未練を残したくなくて、二人してチャレンジすることになった。
 結局、一回の失敗じゃ諦めきれず、それぞれ二回も挑戦した。それでも結果は惨敗。 他の取りやすい場所にある景品すらゲットできず、あたしたちは撃沈していた。
 見かねた唯があたしたちの肩に手をおく。
「買ったほうが早いよ。これ以上はお金の無駄」
 非常にまっとうな意見だった。
 あたしたちはうなだれて唯にくっついた。
「ううう唯ちゃん……」
「ちょっ、暑い! 暑いから二人とも! 離れなさい! こら!」
「唯、なんかイイ匂いする〜」
 あたしは唯から匂ってくる爽やかな匂いに鼻をぴくつかせた。
 (ん? なんか大人の匂い……)
「香水? 唯、香水つけてるの?」
「オーデコロンよ。そんな大層なものはつけてない」
「でもイイ匂い〜〜」
 鼻をフガフガさせて縋りつくあたしを、唯は必死に引き剥がした。
 この暑い中、ただでさえ浴衣で通常より暑いのに、確かに迷惑な行為だったかもしれない。
 唯から離れて、脱力の溜息をつくあたしと春香。
 (あー。あのウサギほしかったなぁ)
 (アオイがいたら、取ってくれたかもしれないのになぁ)
 当のアオイはクラスの友達と、そして千鶴ちゃんと一緒に行動している。
 千鶴ちゃんも今年はうちの高校のイベントに参加するらしい。多分、誘ったのはアオイだ。
 (そういえば、いつ誘ったんだろう……)
 さっき見かけたとき、知らない人たちの中で肩身が狭そうになってる千鶴ちゃんを、アオイがちゃんとフォローしていた。
 千鶴ちゃんは昔から、いちおう『妹』のあたしとは違って、アオイに好感をもつ女の子からやっかみの対象にされることが多い。 あのとおり可愛いし、アオイとは多分一番親しい女の子だし、あからさまに妬みを向けられてしまうんだろうと思う。
 だからアオイはいつも、そばにいるときはなにかと千鶴ちゃんを庇っている。
 つきあいの長い幼馴染の千鶴ちゃんは、やっぱりアオイにとって特別な存在なのかもしれなかった。
 二人のツーショットを思い出して、胸がまたチクリと痛む。
 テンションが下がっていくのを食い止めようと、あたしは頭をぶんぶん振った。
 (今はお祭り。お祭りを楽しまなくちゃ)
 名残惜しいウサギちゃんに別れを告げて立ち去ろうとしたとき、天の声が降ってきた。
「もしかして、あれが欲しいの?」
 あたしと春香のそばにやって来たのは、高梨先輩だ。
 見ればすぐ近くに、いつのまにかアオイのクラスの集団があった。
 人だかりでアオイの姿は見えないけど、射撃の店を囲んでかなり盛り上がっている様子だ。大勢だから相当騒がしい。
 どうやら先輩はその中から抜け出てきたらしい。
「え、えっと……」
「あそこにある、白いウサギだよね?」
 先輩が指差す先を見て、あたしたちはブンブンと首を縦に振って頷いた。
 その間にさっさと店主に小銭を払って、先輩は輪投げの輪を手に入れている。
「え、先輩……?」
 あたしたちが戸惑っている前で、淡々と輪を投げ始めた。
 一つ目は失敗。でも、二つ目の輪でいきなり奇跡を起こした。
 ブーメランみたいに宙を切ったワッカが、見事に白ウサギちゃんの手前の棒にひっかかる。 目に焼きついて離れないほど、鮮やかな技だった。
「きゃーー! やった! やったよ!」
 あたしたちは手を取り合ってピョンピョンはねた。
 まさに狂喜乱舞。ウサギちゃんゲットも嬉しいし、先輩の華麗な技にも感動していた。 やっぱりカッコいい人というのは、こういうのを外さないものなんだなぁと思いながら。
 アオイですら、こういうのは最低三回はお金を払って取ってくれていた。もちろん、子供の頃の話だ。
「はい、どうぞ」
 先輩は少し苦い顔の店主から白ウサギを受け取り、それをあたしたちに渡してくれる。
 それからもう一回分、店主から輪を買い取ってチャレンジしてくれた。
 二回目の三つの輪は残念ながら、一つもウサギにはあたらず、マッチョな男のフィギュアみたいなのを獲得してしまった。
 先輩は更に小銭を払って、三回目の挑戦。 
 戸惑いつつも真剣に見守るあたしたちの前で、きっちり二度目の奇跡を起してくれた。
 受け取ったもう一つの白ウサギを、あたしたちに渡す。
 一人一匹ずつ、あたしと春香にウサギちゃんは行き渡った。
「よかった。ちゃんと二つあって」
 どうやら在庫はきっちり二つだったらしい。ウサギちゃんが座っていた場所には、代わりのクマさんが置かれた。
 あたしたちは一つずつウサギを抱きしめて、一斉に深く頭を下げた。
 二人して感激のあまり目が潤んでいる。
「ありがとうございます!」
「ほんとにありがとうございます! あたしにまで……」
 先輩は少し困ったように笑っていた。
「そ、そんなに喜んでくれると、頑張った甲斐があったよ」
 あたしたちは大事なぬいぐるみを抱えながら、にっこり笑いあった。
 本当に嬉しい。ウサギちゃんは想像した通りにフワフワモフモフだった。ほお擦りしたいくらいの柔らかさだ。
 (絶対今日から一緒に寝るもんね!)
「よかったよかった。二人とも、ついてたね」
 唯は笑って後ろからあたしたちの肩を抱いた。
 先輩はフっと笑みを浮かべて優しい顔をする。
「やっぱり女の子って、そういう人形とか好きなんだね」
 あたしは思わずその甘い顔に見とれてしまい、ウサギをいっそうぎゅっと抱きしめた。
「高梨先輩、本当にありがとうございましたっ」
「いや、ほんと、いいから気にしないで。……俺そろそろあっち行くし、きもだめしで会ったらまたよろしく」
「……はい! ありがとうございました!」
 軍隊の号令みたいなお礼に、先輩は少し苦笑気味だ。
 あたしと春香は深々と頭を下げて、それから少女漫画のようなキラキラした目で彼の後ろ姿を追っていた。
 先輩はクラスの集団の中に戻って、誰かと話しながら歩いていく。
「いや〜。ありゃ、只者じゃないね。女が寄って来るはずだわ。爽やかすぎる。好青年という字が服着て歩いてるようだよ」
 背後の唯がおばちゃんみたいな口調で話す。
 あたしと春香は同時に深く頷きながら、人ごみの中に消えていくその爽やかな青年の姿を見送っていた。





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