ナ ツ ア オ イ

恋と秘密 2



 きもだめし大会は、”くじ”でお化け役を決めることになっている。
 たいがいは男の子が当たるようになっているけど、要するに”ハズレ役”だ。
 コースを回るペアの組み合わせも基本は同じ方法で決める。ただし相手が決まっている人はくじは引かなくてもいい。
 なんと、唯と春香が揃ってくじを辞退したので、あたしは驚愕した。
「えっ、なんで!? 二人とも相手決まってるの!?」
「あはは、ごめんねぇナツ。実はお誘い受けちゃって……」
 唯は少し気まずそうに笑う。
「お誘いって……、唯は、……ああ、あの澤山先輩だっけ?」
「そうそう」
 唯はモテるので、三年の男子からちょくちょく声をかけられたりしている。
 その中でも熱心にアプローチしてきてたのが、澤山先輩という、サッカー部の結構イケメンな人だ。 まだつきあってはいないみたいだけど、いい感じなのかもしれない。
「でもでも、じゃあ春香は? 春香は誰と行くの?」
 春香に関しては、これまで男っ気がゼロだ。 内気な性格なので、男の子とあまり話したりしないし、彼氏をつくるつもりも無いように見えた。
 ――それなのに!
「ごめんナっちゃん。さっき神社に来る途中でメールがきて……」
 言いにくそうにうつむく春香を押しのけるように、唯が顔を近づけてくる。 「ナツ、驚かないで聞いてよ? 実は……」
 唯から事の詳細を聞いたあたしは、目が飛び出すほど仰天した。
「川瀬〜〜!? って、あの川瀬くん!?」
「そう、『あの』川瀬くん」
 あたしは口をパクパクさせながら、ポっと頬を染めている春香の方を見る。 唯は、あたしの驚きももっともだと言わんばかりに、横でしきりに頷いていた。
 (そっか……)
 あたしは高梨先輩の言っていたことを思い出した。 途中の坂道で二人で騒いでたっていうのは、このことだったんだ……。
「でも、よりによって、あの、……ねえ……」
 驚きが臨界点を超えたせいか、クラクラ眩暈を覚えてよろめいた。
 これほどの衝撃をあたしが受けたことには、ちゃんと理由がある。
 隣のクラスの川瀬くんというのは、あたしたちの間では少し”いわくアリ”な人なのだ。 春香にとって、かなり因縁の深い相手といったほうが正しいかもしれない。
 この平和な田舎の公立高校で、柄の悪そうな生徒はどうしても浮いてしまう。
 川瀬くんは、金髪に近い色に脱色した髪。耳にいくつも並んだピアス。そして校則違反のバイク通学。 その外見はいわゆる『不良』という表現が似合いそうな感じで、恐くて誰も近寄れず、陰で色々な噂が飛び交っていた。
 一年のとき、春香はその川瀬くんと同じクラスだった。
 当時春香はクラス委員を引き受けていて、彼への対応に相当苦労していた。
 提出物は提出しない。学校行事には参加しない。出席して授業は受けるけど、誰ともまともに口をきかない……。いわゆる一匹狼。 なにかと喧嘩っ早い彼の顔は睨まれると相当迫力があったりして、引っ込み思案な春香にとっては最悪のクラスメイトだったわけだ。
 彼のフォローやらなんやらで苦労しながら、クラス委員の仕事に関わる最低限の会話にも脅えていた春香。 今思い出しても、あの時は本当に可哀想だった。
 それなのに……。
 大声を出しただけで震えて縮んでしまいそうなくらい、か弱い春香が、だ。 そんな魔の男・川瀬といったい、どうしてまたそんなことになったのか……。
「……待ってよ。ていうかさ、体育祭にも文化祭にも出てこない人が、なんで夏祭りのきもだめし大会に来るわけ? 変じゃない?? この町の住人でもないのに!」
 眩暈に耐えながら、あたしは春香に詰め寄る。横ではやはり唯が力強くうなづいていた。
「うんうん。あたしもさっき、全くおんなじこと聞いた」
 春香は真っ赤になりながら、か細い声で必死に言葉を紡ぐ。
「あの、その、あたし、あたしが、誘って……」
 その言葉に、あたしは今度こそ卒倒しそうになった。
 (さ、誘った〜〜〜〜!?)
 (なんですと!?)
「なんで!? いつのまにそんなに仲良く……!?」
「あの、ごめん。ほんとに。なんか、あえて報告するような何かがあったわけじゃないし、ただなんとなく、クラス変わってからも時々話す機会があったりして……」
 弁明するように、オロオロ焦って話す春香。大きな瞳が潤み始めている。
 (ああ、春香は悪くない。悪くないよ)
 (でもあたしは心配だ……)
「確かに川瀬くん、一年の時から春香に対しては普通に話してるような感じだったけど……。でも春香、ほんとに大丈夫? 噂を丸呑みするわけじゃないけど、相手は春香に何かしようと企んでるんじゃないの?」
 あたしの真剣な問いに、春香は妙に落ち着いた顔になる。そして静かに首を横に振った。
「そんな人じゃないよ、川瀬くん。みんな誤解してるけど、ほんとはすごく素直で真っ直ぐで、優しい人。ちょっと素行に問題はあるけど……」
「春香……」
 春香の妙に達観した話し振りに、あたしは言葉を失った。
 あたしたちの知らない間に、春香と川瀬くんの間に何があったのかわからない。 でも、長い付き合いだからわかってしまう。春香がこういう顔をするときは、彼女の中に揺るがない確信があるときなのだ。
 優しい目をして川瀬くんのことを話す春香の顔が、一瞬知らない人のように見えた。
 いつも奥手で、あたしたちの後ろに隠れてばかりだった春香が……。 あの川瀬くんに信頼と好意を寄せているという。
 正直ショックは隠せないけど、それ以上余計なことは言うべきではないのだと感じた。
「そっか……。春香がそういうなら、噂とは違う人なのかもね。あたし、応援するよ」
「ありがとう、ナっちゃん!」
「…………」
 それでも少し寂しい気持ちは拭いきれないまま、あたしは笑みを向ける。 春香もにっこり笑い、さきに情報を知っていた唯もそれに加わった。
 そして、しみじみとした空気に浸っていたあたしたちの前に、噂の張本人が現われた。
「あ、川瀬くん」
 春香が真っ先に気付き、声をあげる。 あたしと唯はつられるように春香の視線の先を追いかけて、『あの』川瀬くんが歩いてくるのを見た。
 金茶の髪と、両耳に光るピアス、Tシャツとジーパンのラフな格好をした男の子が春香に近づいてくる。
「……ごめん、待たせた」
 無愛想な顔が漏らした言葉は、ぶっきらぼうだけど、意外にも穏やかなものだった。
「ううん。まだ始まってないし、大丈夫」
 答える春香の笑顔がすごく幸せそうで、あたしは自分の胸も熱くなるのを感じた。
 春香を見る川瀬くんの目が、見たこと無いような優しい色をしている。多分それは、春香にだけ向けられるものなんだろう。
 あたしと唯はアイコンタクトを取りあうと、そそくさとその場から離れた。 遠ざかってからも何度か振り返って二人のほうを見たけど、なんだかいい雰囲気だった。
 あたしの心配なんかほんとに必要なかったようだ。 春香も自然に彼と会話してるし、川瀬くんのほうも終始穏やかな表情を浮かべている。
「いいなぁ〜。案外お似合いかもね」
「そうだね。あたしもさっき初めて聞いたときは、そりゃ驚いたもんよ」
 あたしたちはまるで保護者のような目で、遠巻きに二人を見守っていた。
 そこへ今度は招かれざる男が顔を出す。
「おい、おまえらさっさとクジひけよ」
「げっ竹井」
 声を聞くなり、唯がうめくような声を上げる。
 でも次の瞬間、あたしと唯はブっと盛大に吹き出していた。二人してお腹を抱えて爆笑する。
「……おい。なんだよ。失礼な奴らだな」
 竹井の頭には三角形の白い布、胸やら肩にはフェイクの矢が何本か突き刺さって、赤いインクが血のように塗られている。
 落ち武者のようなレプリカの鎧(よろい)を身に着けて、頭は月代(さかやき)のカツラをかぶっていた。
 そして、顔だ。
 顔にもメイクらしきものが施してあって、口の端には血の流れに見せかけた赤マジックの線、目の下には隈のような黒い影が塗ってあり、おまけに唇には白っぽい薄紫のグロスがべっとりだ。
 まるで”落書きされた顔写真”のような顔面をぶら下げて、竹井はのっそり突っ立っていた。
「あ、あんた、くじでハズレ引いたのね。そんで、お化け役……?」
 なおも込み上げてくる笑いと戦いながら、唯が言う。
 竹井はその顔で憮然としていた。
 悲しいことに、どう見てもお化けというよりは、コントかなにかの面白メイクにしか見えない。 暗闇で出くわしたとしても、恐怖どころか笑いが込み上げてくるに違いない。 
「ほら、さっさと引けよ。次、ひかえてんだよ」
 屈辱を押し殺したような声で、竹井はくじの入った箱をあたしたちに突きつける。
 あたしはその中から一枚引いて、唯はお腹を抱えてプルプル震えながら手を横に振った。
「あ、あたしは、パス。いらないから。……っは、はは」
 こみ上げてくる笑いのエネルギーのせいか声が震えている。 あたしの方も、”もらい笑い”を抑えるのに必死だ。
 一方竹井の方は、唯の言葉に愕然とした顔をしている。変なメイクの上からでもわかる、あきらかに動揺した顔だ。
 あたしは笑い涙の滲んだ目で、その表情をとらえた。
「……おまえ、相手決まってんの?」
 竹井の呆然とした問いかけに、唯は呼吸を落ち着かせながらあっさり返した。
「まあね。さあ、いいから行った行った! これ以上笑わせないでよ」
 あたしは竹井の表情が曇っていくのに気付いていたので、それ以上笑うことができなかった。
 小犬みたいな目が揺れて、唇を噛み締めている。 唯は何も気付いてないけど、竹井が相当ショック受けているのは目にも明らかだった。
 あたしが何か声をかけようとしたとき、彼はばっと背を向けて走り去る。 その後姿がなんだかあまりに可愛そうで、あたしは未だに笑いを殺しきれないでいる唯に、何か言うべきかと迷った。
 でもそれより早く、唯の相手の澤山先輩が現われてしまい、そのタイミングを逃してしまった。 



 春香と川瀬くんのペアが出発して、唯と澤山先輩のペアも行ってしまって、あたしはいよいよ一人でポツリと残された。
 今ちょうどスタート地点にいるのは、アオイと千鶴ちゃんだ。
 (やっぱり、二人一緒のペアなんだ……)
 少し離れたところにある木の陰から、二人が森に入っていくのを見ていた。 チクチク胸が痛むのを感じながら、抱えた白ウサギにぎゅっと顔をうずめる。
 (いいなぁ、千鶴ちゃん)
 (手とか繋いで、すごくイイ感じだったし)
 (ひょっとしてあの二人うまくいっちゃったのかな……) 
 あたしはなんだか急に泣きたくなって、その場にしゃがみこんだ。 その拍子に手の平からポロリと、さっき引いた”くじ”の紙が転がり落ちる。
 そこに書かれているのは、『上村智司』という名前。あたしが引き当てた相手の男子の名前だ。 たしか四組の人だったはず。
 でも、その人も今頃きっと森の中だろう。
 彼を好きだとかいう飛び入り参加のクラスメイトに頼まれて、あたしはペアの座をその子に譲ったのだ。 どうせほとんど知らない人だし、まあいいやって思って……。
 全てのペアが出発してしまったスタート地点で、残っているのは幹事の人たちと、あとはお化け役で待機してる人くらいだ。
 あたしは木にもたれて、溜息をついた。 アオイと千鶴ちゃんのことを考えないようにしながら、唯や春香がうまくいくように祈ることにした。
 (せっかくのお祭りなのに、今年は色々きついなぁ……)
 無邪気にただはしゃいでいた子供の頃はよかった。 あの頃は毎年家族で来ていたから、当然のようにいつもアオイが一緒だったし、今のように胸の痛みを感じることもなかった。
 そうやってしばらくウサギを抱えて座り込んでいると、近付いてくる人の気配とともに土を踏む音がする。
「広川さん?」
「え」
 頭上からかかったその声に、あたしはビックリして顔を上げる。 見上げた先には、同じように驚いた高梨先輩の顔があった。
「あれ、なんで広川さん、くじ引かなかったの?」
「え、えっと、引いたんですけど……」
 あたしは慌てて立ち上がり、浴衣の裾についた土を払う。先輩の正面に向き直って、適当に事情を話した。
「……なるほど。そういうことか。おかしいと思った。女子はあぶれるはずなかったから」
「先輩は? どうしてここに?」
 高梨先輩の格好は、さっき会った時のまま、普通のTシャツ姿だ。 顔にメイクもなく、お化け役というはずもなかった。
「俺は辞退。男子が余っちゃってさ。二人ほど抜ける必要があったんだ。幹事がうちのクラスの奴だったし、ちょうどいいから申し出て抜けさしてもらった」
 先輩はあっけらかんとした調子で話す。
 あたしは食らいつくような勢いで声をあげた。
「ええっ、もったいないですよ! 先輩と当たりたかった人が悲しんでるんじゃないですか!?」
「……どうなのかな」
 困ったような曖昧な表情を浮かべ、言葉を濁す先輩。
「絶対悲しんでますって! あーあ、もったいないなぁ……」
 思わず口をピョコンっと尖らせたあたしに、先輩はぷっと吹き出した。
 (……しまった!)
 あたしははっとして口の形を戻す。口元を隠すように両手で覆った。
これは家でよくやる悪い癖だ。家族にしか見せない”変顔”なのだ。
 まさか外で、それも男の人の前でやるなんて……、気が緩みすぎてる証拠かもしれない。
 肩を落として顔を赤くしていると、高梨先輩は何か思いついたように笑みを浮かべ、それから思いがけないことを言った。
「――じゃあさ、あまり者同士で一緒に行く?」





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