ナ ツ ア オ イ

恋と秘密 3



 思いがけない展開だった。
 まさか高梨先輩と、ペアを組むことになるとは……。あたしは色んな意味でドキドキしながら暗い道を進んだ。
 懐中電灯を持った先輩が、一歩先を歩いて道を照らしてくれる。夕方に雨が降ったせいで、足場はあまりよくなかった。
「ほ、ほんとにいいのかな、あたしなんかが先輩とペア組んじゃって……」
 後ろめたいような、申し訳ない気持ちのこもった呟きに、先輩は気さくに返した。
「なんでそんなこと言うの。俺そんな人気ないし」
「えっ、そんなはずはっ!」
 (――ないないないないないないっっ!!)
 あたしは心の中で全力で否定した。
 (先輩、もしかして結構天然さん? 自分がモテてるって自覚ない?)
「アオイはモテるけど、俺たちよく一緒にいるから、なんか紛らわしくなってるだけじゃないかな」
 (えええっ。なにそのネガティブ思考!?)
「そんなはずないですよ。先輩じゅうぶんモテてます。あたしが保障します!」
 あたしは妙に威勢のいい声で宣言した。言った後で言葉のおかしさに気付く。
 (『あたしが保障』って、なんじゃそりゃ……)
 でも、高梨先輩の認識は確実に誤っている。あたしの言っていることのほうが事実なのだ。
「高梨先輩、優しいし、カッコいいし、爽やかだし、成績いいって評判だし、ほんとに人気ありますよ。 二年女子の間でも」
「へえ……」
 熱意をこめて話しても、先輩はなんだか興味なさげな反応だった。
 (ひょっとして、こういう話ってあまり好きじゃないのかな?)
 ちょっと喋りすぎたかもしれないと思い、あたしは口をつぐんだ。
 しばらく無言が続いたあと、今度は高梨先輩が口を開く。
「なんか、俺って色々誤解されてるよね。広川さんの話聞いてると、すげー好青年みたいだ」
 (いやいや十分に好青年ですから!)
 内心激しくツッコミながら、あたしは黙って先輩の話を聞く。
「俺、みんなが思ってるような奴じゃないよ。結構自分勝手だし、優しくみえるのは、 周りにいい奴に見られたほうが得だと思うから、そうしてるだけ。要するに、根っから打算的な人間なわけ」
「……打算的って……」
 先輩の口からあまりに意外な言葉が飛び出して、反応に困った。
「けっこう嫌な奴だと思うよ?」
 苦笑しながら、先輩は振り返る。
 あたしは少し呆然として、それでもどう見ても好青年にしか見えない彼の顔を見ていた。
 そうしてボケっとしていたところで、顔に何かがぶつかった。ヌルっとした冷たい感触……。
「ぎゃあっ」
 変な声を出してうろたえる。その瞬間、足元の湿った苔に足を滑らせた。
「……わっ!」
「危ない!」
 尻餅をつきそうになったあたしの体を、高梨先輩が見事な反射神経で受け止めてくれた。 上半身を抱えられるような姿勢で停止し、あたしは尻餅を免れる。
「……す、すみませ……」
 (なんか、前にも同じようなことがあったような……)
 あたしってば、注意力が無さすぎだ。
「大丈夫?」
 上から覗きこまれる顔が近すぎて、またまたびっくりした。
 慌ててバっと体を起こすと、先輩は少し笑った。
「そそっかしいなぁ、広川さん。アオイが色々と心配するわけだ」
「え……」
 飛び出したアオイの名に敏感に反応しつつ、少し恥ずかしくてうつむいた。
「コンニャクだね。結構古典的なことするよなぁ……」
 あたしがぶつかったのは、木の枝から吊るされた濡れたコンニャクだったらしい。 少し呆れたように息をつきながら、先輩はそのブラブラ揺れる物体を指で突付いている。
 それから彼はあたしに向かって手を差し伸べた。
「行こう? 滑らないように気をつけて」
 あたしは少しドキドキしながら、先輩の手を取った。ぎゅっと握られる感覚にますますドキドキする。
 ――アオイとは違う……。
 あたしの手を引いて歩く背中も、姿勢も、髪も、見慣れたものとは全てが違っていた。
 顔にのぼった熱はなかなか引いてくれなくて、ただ黙々と先輩に誘導されるままに歩いた。


 なんだろう。なんだか落ち着かない。
 最初のコンニャクのあと、お化けといえば、変な格好をしたお化け役の男子がただ飛び出してくるだけで、 驚きはするけど、あまり恐くなかった。
 むしろ恐いのは鬱蒼としたこの森のほうだろう。 案外、お化け役として潜んでいる男子のほうが恐がってたりして……。
 でもあたしはお化けや森の恐さ以上に、手を引いてくれる先輩のほうに気を取られていた。 アオイやお父さん以外の男の人と、手を繋ぐのは初めてで。なんだかとても落ち着かない。 緊張のあまり、繋いだ手に汗が滲むし、心臓がドキドキするし……。
 先輩はあたしを気遣ってか、すごくゆっくり歩いてくれる。 だけどさっきからずっと沈黙で、妙に気まずい。
 (何か話したほうがいいかな?)
 (でも、何を?)
 思えばあたしは、高梨先輩のことをほとんど何も知らなかった。 いつもアオイと一緒にいる人だから、当然のようにわりと身近な人のように感じていたけど、 考えてみれば二人だけで話したことさえ無いような気がする。
 そんなことを思い巡らしていると、ますます緊張に拍車がかかってくる。
 雨上がりの湿っぽい森の空気の中、草や土の匂いがたちこめていた。 暗い木々の中はシンとしていて、少し離れたところにある池から牛蛙(ウシガエル)の鳴き声が 微かに聞こえてくるだけだ。
 長い沈黙を破ったのは、先輩だった。
「広川さんさ、もしかして、覚えてないかな?」
 あたしは弾かれたように先輩の声に反応した。
「え、な、何を、ですか?」
「あのさ、ここの隣の沢根町(さわねちょう)。あっちにうちの本家があるんだよね」
「……あ、はい」
 それは知っている。というか、アオイから聞いたことあった。
 高梨先輩の家は先祖代々、結構古くからこの辺の地域に住んでいて、親族はたいがいがこの八重里町と、 隣の沢根町周辺にそろっているらしい。沢根町へ行けば、五軒に一軒の家の標札が『高梨』なんだとか。
「その本家に俺の祖父母が住んでて、子供の頃しょっちゅう出入りしてたんだけど」
「……はあ」
 先輩はなんだか筋の見えない話を始めた。あたしは黙って聞くしかない。
「たしか俺が小五の時、台風で停電して電話線も切れた日、じいさんが発作で倒れてすごい大騒ぎになってさ」
 行く先を遮るように垂れ下がっている柳の木の枝を手でよけて、あたしを先に通してくれる。
 再びあたしの手を引いて歩き始め、先輩は話を続けた。
「それで、その日ちょうどいいタイミングで町に往診に来てたお医者の先生がいて、助かったんだ。 その先生も台風の暴風で家に帰れず足止め状態だったみたいなんだけど」
 (お医者の先生?)
 (それって、もしかして)
 その瞬間にあたしが想像した通りのことを、先輩は言った。
「それがアオイと広川さんのお父さんだったんだ。高校入ってアオイと会って、初めて知ったんだけど」
「そ、そうだったんですか」
「で、その時に、先生と一緒に子供が一人いた。どうしても薬が足りなくなって、一刻の猶予もないってとき、 一緒にいたその小さい女の子が台風の中、この町の診療所まで走ってくれたんだ」
「…………」
 まさか、と思う。
 台風の日にお父さんと一緒に沢根町へ往診に行ったときのことを、あたしは覚えている。 アオイもお母さんも家にいない日で、あたしは台風が恐くて朝から診療所でお父さんの後ろをついて歩いていた。
 そして隣町の往診にも、ワガママを言って無理やりついて行ったのだ。
「その時のこと、俺、すごい強烈に記憶しててさ。ひどい雨の中、うちのじいちゃんのために必死で走ってくれた 女の子のことを」
 随分昔の記憶が鮮明によみがえってきた。
 あの時は患者さんが危険な状態だったみたいで、お父さんも相当焦っていた。 だからただ必死に、なにかできることを手伝わなきゃと思っていた。 診療所にストックしてある薬がどうしてもすぐに必要で、あたしは沢根町からこの町まで走ったのだ。
 普段ならお父さんは絶対そんなことはさせないけど、なんせ状況が状況だった。 患者さんの大事な命がかかっていて、一刻を争うような状況だった。
 幸いこのあたりの地域は、その時ちょうど台風の『目』に入っていて、 風と雨は比較的落ち着いている時だったから。だから「あたしが行く」「あたしが行くのが一番早い」って熱心に 頼んだら、お父さんは渋々重大任務を任せてくれたのだ。
 お父さんの書いたメモを持ってあたしは、雨合羽と長靴で、あたしだけが知ってる抜け道を通って 診療所まで走った。
「あれが、広川さんだったんだよね」
「あれって、高梨先輩のおうちだったんだ……」
 相当無茶したことがバレて、あとでお父さんに怒られたんだけど。 でも患者のおじいさんが助かって、すごく嬉しかったのを覚えている。
 あれがまさか、高梨先輩のおじいさんだったなんて……。やっぱりこの辺りは狭いというか、なんというか……。
 思わぬ偶然に、あたしは驚きを隠せないでいた。
 でも、それだけじゃすまなかった。 驚いているあたしに、更に衝撃的なことを、先輩は言った。
「――だから、ずっと気になってた」
「え?」
「広川さんが入学してきたときから、ずっと、気になって見てたんだ」
「…………」
 先輩は立ち止まり、まっすぐにあたしの目を見ている。
 あたしはポカンとして間抜けにも口を開いたまま、その先輩の顔を見上げていた。
 その反応に、先輩は困ったような苦笑を浮かべる。
「あれ。そんなに意外だった? 俺、けっこうわかりやすくなかったかな」
「…………」
 あたしは先輩の言葉を理解するや、瞬時に茹で上がった顔でぶんぶんと首を横に振った。
 (そんな滅相もないこと、考えもしませんでした……)
 親切にしてくれるのは、友達の妹だから、アオイの妹だからだろうなって思ってたし……。
 (なに? なんなの? これって何かのドッキリ……?)
 (きもだめし大会じゃなくて、実はドッキリ大会だったの?)
 (そこの茂みの中から、もうすぐプラカードもった人が出てくるんじゃないの!?)
「あの……、あたし……」
 暗がりでもわかるほど真っ赤な顔をぶらさげたまま、あたしは言葉に詰まった。
「ごめん。いきなりこんなこと言って。そりゃ困るよね」
「いえ、あの」
 握ったままの手が熱い。そこから全身に熱が広がって、心臓がバクバクいってる。
 (どうしよう。どうしよう!?)
「いいんだ。気にしないで。せっかくの機会だし、気持ちくらいは伝えておきたいなぁと思っただけだから」
 先輩はゆっくりと歩き始める。あたしはまた手を引かれる形で、一緒に前に進んだ。
 先輩はとても落ち着いていて、体温上昇やら心臓バクバクやらで動揺しているのはあたしだけだ。
 (告白、されたんだよね?)
 (信じられないけどあたし、高梨先輩に……)
 いまだに現実が現実と思えずに、頬をつねったり一人でトボけたことをやっていると、 再び先輩の言葉が聞こえてきた。
「ただ、もし広川さんが嫌じゃなければ、……ていうか、少しでも俺に興味もってくれたりしたら、 できればつきあってほしいと思ってる」
「…………」
 日常会話のようにサラリと爽やかに話す先輩の背中を見ながら、あたしは熱中症患者のように頭がボーっとしていた。
 でも、次に続く言葉で一気に現実に引き戻される。
「今すぐ返事はいらないよ。俺、広川さんに好きな人いるのは、知ってるから」
「えっ……」
 心臓が摘み上げられたみたいにドキっとした。さっきとはまた温度の違う感覚だ。
「見てればわかるよ。……いや、広川さんをそういう目で見てた俺だけかもしれないけど」
 ――『好きな人』。
 この状況で、あえて先輩は名前を出さないけど。この人は知っている。
 ――知ってるんだ……。
 あたしは顔の火照りが静かに引いていくのを感じ、今度は胸の痛みを覚えてうつむいた。



 きもだめしが終わったあとは、プチ花火大会といったところだ。 森の裏手を流れる小川の川べりに下りて、みんなで花火をする。
 蛍の光がちらほらと浮かんでいて、結構ロマンチックな光景だ。
 既にできあがったカップルも少なくは無いみたいで、その人たちは二人で仲良さそうに花火を楽しんだり、 語り合ったりしていた。
 高梨先輩と別れたあと、あたしは唯と合流した。
 思いもよらない告白を受けてしまって、見るからに行動が不自然なあたしを、唯はニヤニヤした顔で見てくる。
「高梨先輩かぁ〜。いいじゃんいいじゃ〜ん」
 このこのっ、とか言って、脇腹あたりを肘で突付いて来る。
「ちょ、ちょっと待ってよ! あたしまだ混乱してるんだから!」
 トマトみたいな顔で抵抗するあたしを、唯はまたおかしそうに笑った。
「今年の夏はみんな目覚めちゃったって感じよねぇ」
 言いながら唯の視線は、川辺に散らばるカップルの一つに向かう。つられるように、あたしも同じ方向を見た。
 ――春香と川瀬くん。
 なんだか本当にいい雰囲気で、何か話しながら二人で花火を楽しんでいる。 春香はすごく嬉しそうで、川瀬くんは学校で見るのとは別人みたいに優しそう。
 (春香、よかったね……)
 思わずジ〜ンとなって目頭に熱いものを感じていると、後ろから頭を掴まれた。
「ひあっ」
 素っ頓狂な声を出して顔を上げると、悪戯っ子みたいなアオイの顔があたしの頭上にあった。
「なにすんのよ!」
 無礼なアオイの手をベリっと引き剥がして、それからあたしはすぐに千鶴ちゃんの姿を探した。
 (あれ? どこにもいない……)
「アオイ、千鶴ちゃんは?」
「ああ、なんか同じ学校の友達に会ったみたいで、一緒に縁日の方行っちまった」
 アオイはまだ騒がしい境内の方を顎で指す。
 この川辺にも太鼓の音は響き、たくさんの提灯の灯りが暗い景色の中に浮かんで見えていた。
「や〜い、フラレてやんの〜」
 さっきの仕返しとばかりに、舌を出して言ってやった。
「うるせーよ」
「可愛い子の前で鼻の下伸ばしまくってるから、そういうことになるのよ」
 ツンとした顔で言うと、アオイはニヤリと笑った。
「なんだ、ナツ。おまえもしかしてヤキモチかぁ? なになに、可愛いとこあるねぇ」
「違う! 断じて違う! アオイってば自意識過剰!」
 (『ヤキモチかぁ?』って……)
 (そういうこと、冗談交じりにさらっと言えちゃうだよね)
 アオイにとってあたしはそんな存在。妹って、そんな存在なんだ……。
「つうかさ、おまえこそ、こんなとこで寂しくなにやってんだ」
「ほっといてよ」
 アオイはわざとらしく眉をひそめて、隣にいる唯に言う。
「唯ちゃん、ごめんね? 独りぼっちのコイツが哀れで、相手してやってくれてたんだよねー」
「い、いや、あたしは……」
「ちょっと! 何勝手なこと言ってんのよ!」
 掴みかかって抗議しかけたけれど、アオイの向こう側にふと目を向けて、あたしはとっさに手を引っ込めた。
 高梨先輩がこっちの歩いてくるのが見えたのだ。
「……ん?」
 アオイは不審そうに、急に大人しくなったあたしの顔をのぞきこむ。
 顔の火照りが復活したあたしは、挙動不審者のようにモジモジと、 体の前で手をすり合わせながら立ち尽くしていた。
「アオイ、クラスのメンバーで軽く打ち上げやろうって集まってる。なんか受験に備えてカツ入れるとか。早く行こう」
 先輩はアオイに向かって話し、それからあたしに目を向けた。 ガッチガチに緊張しているあたしとは対照的に、先輩はいつも通り白い顔のまま落ち着いていた。
「それじゃ、広川さん、またね」
 去り際にあたしに向けてくれた笑みは、女の子がうっとりするような甘いもので、 あたしの熱はこれ以上はないというくらいに上昇してしまった。
 (どうしよう……)
 もうこの先、先輩の顔をまともに見られないかもしれない……。
「ほら、アオイ、来いよ」
「……あ、ああ」
 先輩は引率の先生みたいにアオイを引き連れて、クラスの集団の方へ歩いていった。
 はっとしたときには、やっぱり隣の唯がニヤニヤしていた。 あたしはわざとらしく咳払いをしたりして、場の空気をうやむやにしようとしたのだった。





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