ナ ツ ア オ イ
恋と秘密 5
一週間続いた講習も最終日を迎えた。
午前終わりのその日、帰りにカラオケに行こうって話が出て、残ったクラスメイトたちで盛り上がっていた。
「ナツ、どうする? 行く?」
「……あー、あたしは無理。ほら、これ、職員室もっていかなきゃ」
あたしはその日当番に当たっていて、みんなの課題のノートとアンケート用紙の束を職員室に持っていくという後始末が残っていた。
今日から新学期まで約三週間、登校日は無いので、教室の中も整備点検して施錠しなくちゃいけない。
「後から合流したら?」
「……うーん、ごめん。なんかそういう気分でもなくて」
あたしの曖昧な笑いに、唯はなんとなく事情を察したらしい。
軽く目を伏せると、気だるそうに溜息をついた。
「そっか……。じゃああたしもやめようかなぁ……」
「なんで、行ったらいいじゃない。なんか賑やかそうだよ」
「つまんないよぉ。ナツも春香もいないんだしぃ」
春香は今日、法事のため休んでいる。
まあ登校してきたとしても、こういう行事に参加するより川瀬くんと一緒に帰るほうを選びそうだけど。
「あー、あたしも彼氏ほしーい」
机に腰掛け、唯は浮いた足をじたばたさせた。
「唯、あの先輩はどうしたの? ほら、きもだめしの時の……」
「ああ、澤山先輩? アノ人はほら、受験だし、それどころじゃないのよ。
受験終わったらどっか行こうって誘われてるけど、大学受かったらあの人東京行くんだよ?
そんな危うい遠恋、あたしにはありえない」
「そうなんだ……、やっぱ東京行く人多いんだぁ」
「そりゃあねぇ。大学の数だって比較にならないし、それでなくとも就職の問題とかもあるんだし。
進学希望者でN大志望組以外は、出て行くしかないでしょ」
ふうん、とあたしはうなづき、手元のノートを出席簿順に並べる作業を続けた。
唯が思いついたように聞いてくる。
「そういえば、広川先輩は?」
「え?」
「広川先輩は、大学どうするの?」
アオイの話題にドキっとしつつ、何事もないように答えた。
「アオイは、この町を動く気はないみたいよ。ずっと前だけど、そう言ってた」
「てことは、N大? それとも就職?」
「うーん、受験の準備してるから、N大受ける気じゃないかな? 無理だった場合は……どうするんだろ」
「意外だね。広川先輩なんて東京でも十分やっていけそうなのに、よっぽどここが好きってことなんだ」
「……さあ、どうだろ」
あたしはまた曖昧に笑った。
あれはもう、一年以上も前。あたしが一年でアオイが二年だった年の冬のこと。
唯のお姉さんが東京に行くと聞いて、あたしはにわかに『東京』への進学が身近なものに感じ始めていた。
それで何気なくアオイに聞いたのだ。進路をどうするつもりなのかと。
とても勇気を出して聞いたんだけど、アオイはあっさりと当然のように「この町に残る」って言った。
その一言で、心から安心したのを覚えている。
――アオイもこの町が好き?
――あたしと同じ理由?
そんな可能性に心をときめかせて、あたしはとても幸せな気分になったのだった。
でも、今はそれは何の慰めにもならない。
アオイのこの町への執着には、千鶴ちゃんの影がちらついていて見える。
二人で共有していたと信じていたものは、急によそよそしい何かに変わってしまった。
残っていたクラスメイトの集団を見送ると、無人になった教室内を点検して施錠した。
課題のノートとアンケート用紙の山を抱え、職員室へと向かう。
時計を見ると、もう一時をすぎていた。
最後まで残っていたのはどうやらうちのクラスだけだったらしい。
二年生の教室はほぼ全て戸締りが済まされていて、校舎の二階はシンと静まり返っていた。
グラウンドから、クラブ活動に励む生徒の声がかすかに響いてくる。
あたしは前が見えないほどのノートの山を抱え、バランスを取りながら職員室へと向かった。
強がり言わずに唯に手伝ってもらえばよかったかなぁ、なんて少し後悔しながら。
唯は最後まで残って手伝おうとしてくれたけど、あたしが断ってみんなと一緒に送り出した。
あの後、竹井の誘いなんかもあって、唯は結局カラオケに参加することになったのだ。
素直じゃない竹井の誘い方は、今思い出してもおかしい。
まったく彼の気持ちに気付いていない唯は相当鈍感で、さすがに竹井が不憫にもなってくる。そんな二人ははたから見ていると相当滑稽ですらあったけど。
春香といい唯といい、普通に恋して恋されて、幸せだなぁと思う。
そして、改めて自分のことを思うと一気にブルーになった。
どうしてあたしは、こんなややこしい恋に気付いてしまったのだろう、と……。
脳裏に浮かんだアオイと千鶴ちゃんのツーショットを掻き消すように頭をブンブン振った。
周りへの注意を怠っていたあたしは、廊下の角を曲がったところで、ドンッと人にぶつかった。
「うわッ!」
バランスを崩してよろける。
抱えたノートとプリントをばら撒くまいと手に力を入れつつ、足が絡まって後方に転倒しそうになった。
その体を支えるように、ぶつかった相手があたしの腕を掴んで引き寄せる。
「……ごめん、大丈夫?」
おかげでなんとか転倒を免れたあたしは、聞き覚えのある声に、ばっと顔をあげた。
ノートの山の向こうに見える、黒髪の男子生徒。
心配げな瞳がまっすぐあたしに向けられていて、あたしは目を丸くする。
「高梨先輩!」
肩にカバンをかけなおした先輩は、あたしの腕を放すと、ノートの山を半分以上掴み取った。
「あ……」
「職員室に運ぶんだよね? 手伝うよ」
「あの……」
驚いているあたしをよそに、先輩はノートを抱えて職員室に向かって歩き出す。
三年生の教室は一階だ。
先輩がこの二階の廊下にいたということは、そしてこの方角から現われたということは、職員室からの帰りににちがいない。
カバンを持っているところをみると、これから下校するところだろう。
再度わざわざ職員室まで戻らせてしまうのは忍びない。
「あの、先輩、あたし一人で大丈夫ですから」
高梨先輩だって、アオイと同じ受験生だ。
アオイとは比べ物にならないほどの好成績の秀才とはいえ、貴重な勉強時間を削らせてしまうわけにはいかない。
だけど先輩は首だけで振り返り、気さくに笑った。
「いいから、気にしないで。前が見えない状態で歩いてると危ないよ」
「…………」
あたしは少しためらいつつ、立ち止まっていてもしかたないので、先輩の後ろに続いた。
「すみません。なんだか余計なお手間を取らせてしまって……」
「そんな遠慮しなくていいよ、広川さん」
教室のある東棟と職員室のある西棟を繋ぐ連絡通路の廊下。
先輩の一歩後ろを歩きながら、あたしは目の前の姿勢のいい背中を見つめていた。
背の高い高梨先輩の、細身だけどたくましい背中。
見慣れたものとは違っていたけれど、あたしは心がジワリと温かくなるのを感じた。
「……やっぱり高梨先輩って優しいですよね」
なにげなく呟いてしまった言葉に、先輩はふと立ち止まって振り返り、
つられるように立ち止まったあたしと視線がぶつかった。
真っ直ぐ見つめられ、あたしはついその視線のやり場に困ってしまう。
先輩は意味深な笑いを浮かべていた。
「広川さんに振り向いてほしいだけだったりして」
「……え」
呆然と頬を赤くしたあたしに構わず、先輩は再び背を向けて歩き出す。
「ほら、俺って打算で動く人間だから……」
いつかと同じようなことを話す先輩。
あたしは立ち止まったまま何度か瞬きを繰り返したあと、改めて彼の後を追った。
(そんなこと、ないでしょう)
前を歩く背中を見る。
(――でも……)
男は背中で語る、とか、どこかの誰かが言っていたけれど、それって結構当たっているかもしれない。
人によって表情が違う背中。先輩の背中にはアオイとは違う何かが見えた気がした。
職員室を出たあたしと先輩は、そのままなりゆきで一緒に帰ることになった。
「腹減ったなぁ。広川さん、よかったら何か、食べて帰らない?」
特に深い意味のなさそうな先輩の誘い。
なんとなく顔もまともに見られないあたしは、ドギマギしつつ、断る理由もないのでうなづいた。
(意識するな。意識するな)
言い聞かせながらも手足はギクシャク動き、一度別れて各自の下足場へ行った時には深い溜息をついていた。
(やっぱ緊張するなぁ……)
心臓がひとりでに躍りだすし、前みたいに普通に話せないし……。
靴を履き替えて外に出ると、高梨先輩は既に待っていた。
あたしは小走りに先輩のほうに駆け寄る。
一緒に駐輪場に回ってあたしの自転車を拾い、それから二人並んで正門の方へ歩き出した。
「あ、そうだ」
正門を出て少ししたところで、先輩は何かに気付いたように、ふいにカバンの中に手をつっこんだ。
ゴソゴソと何かを探している。
出てきた先輩の手に握られていたものは、ビニールのパッケージの小さな何か。
先輩はそれをあたしの方に差し出した。
「これ、よかったら」
「え……」
戸惑いながら受けとると、それはウサギのマスコットのついた携帯ストラップだった。
「か、かわいい……」
大きな目のピンクのウサギと、ハムスターがぶら下がっている。
あたしは目を輝かせてそれを見た。
見おぼえのあるキャラクターだった。
たしかこの夏公開のアニメ映画に出てくる動物だったはず。何度かCMで見たことがある。
「え、これ、……いいんですか?」
遠慮がちな問いかけに、先輩はうなづいた。
「従兄弟がそこの配給会社に勤めててさ。昨日東京から帰ってきてて、うちにも大量に置いていったんだ」
「そうなんだ……。ありがとうございます! うわー可愛い……。嬉しいなぁ」
顔を紅潮させて喜んでいると、先輩が軽く笑みを漏らす。
「やっぱそういうの好きなんだね」
「はい! 好きです!」
あたしの妙に威勢のいい返答に、先輩はまた笑う。
縁日で先輩に取ってもらった白いウサギちゃんは、あたしの部屋の定位置に飾られている。
とても気持ちがいいので、手持ち無沙汰なときはいつも抱きついていた。
国道沿いの歩道で、少し前を歩きながら先輩は言った。
まるでさっきの続きのように何気ない口調で――。
「よかったら来週あたり、その映画見に行かない?」
「え」
あたしは思わず歩みを止め、先輩は苦笑交じりに振り返る。
「……ごめん。計画犯で」
手元のストラップをぎゅっと握り締めながら、再び顔が赤く変色するのを止められなかった。
(今のって、誘われた?)
(あたし、デートに誘われたの!?)
「あ、あの、でも、先輩受験生なのに……」
あたふたと返すあたしに比べ、やっぱり先輩のほうが何百倍も冷静だった。
「息抜きは必要だよ。むしろ広川さんと映画行けたら、勉強に熱が入るかも」
「…………」
うっすらと余裕の笑みすら浮かべている。
優しそうな甘い表情の裏に見え隠れする、ほんの少し意地悪そうな色。
ああ、こういう顔が女の子を捕らえてしまうんだろうな、なんて冷静に考えつつ。
激しくドキドキしながら、あたしはただ言葉に窮していた。
そんなあたしの態度をとくに気にする風でもなく、先輩はまた歩き出す。
「それに……、色々気がかりでさ。この間、神崎さんの名前出したのちょっとマズかったかなって。ずっと思ってて」
――『神崎さん』。千鶴ちゃんのことだ。
『この間』とは、アオイが待ち合わせている相手が千鶴ちゃんだと教えてくれたときのことだろう。
「広川さん、しばらく沈んでたのって、やっぱそのせいだよね。俺も少し責任感じてて。だからってわけじゃないけど、少しでも気が紛れれば……なんて、余計なおせっかいかな」
先輩の口からそんな言葉が出てくるのは本当に意外で、あたしはビックリしていた。
高梨先輩が責任を感じる必要なんて、絶対に無い。
まったくもって、とんでもない話だ。
「せ、先輩はなにも悪くないですよ! あたしが勝手にショック受けて、勝手に拗ねてただけですから!」
小走りで追いついて、やや大げさな口調で否定する。
先輩はあたしの方をじっと見た。
「……ショックだった? それってやっぱり、大事なお兄さん取られて寂しいとか、
そういう感情とは違ってたってことだよね?」
「…………」
あたしは一瞬、言葉を失う。
どうにも答え様がなくて、しばらく無言のまま歩いてからボソリと呟いた。
「あの二人、やっぱりつきあってるんですか?」
「どうなのかな」
先輩は髪に手をやりながら、少し遠くを見る。
癖のない髪が風に揺れていた。
「俺も詳しくは聞いてない。随分前に幼馴染だって紹介されただけだし。アオイ、意外と自分のこと話さないからな」
「…………」
でも、あの河川敷での光景を見る限り、つきあってるとしか考えられない。
アオイがはっきり宣言しないから悪いのだ。だからあたしは往生際悪く違う可能性を模索してしまう。
「でも……」と、先輩は硬い声で言い募った。
次に続いた言葉は、想定外にショッキングなものだった。
「二人して東京まで行ったくらいだから、やっぱり……付き合ってるのかもしれないな」
「……東京?」
唐突に飛び出した思わぬ言葉に、あたしはポカンとした。
(今、『東京』って言った?)
「そう。先週の、K大のオープンキャンパス」
(――え……)
あたしはますます混乱する。
「K大って……。どうしてアオイが東京の大学に……」
この町からは出ないと言っていたアオイ。
それなのに、どうしてK大の見学なんか……?
百歩譲って、あくまで参考のために見に行ったのだと考えよう。
でも、それにしたって不自然だ。日帰りで東京に行ったなんて初耳だし、多分お母さんたちだって知らないはずだ。
しかも千鶴ちゃんと二人で、って……。
顔色を失ったあたしを見て、先輩のほうも若干驚いていた。
「……もしかして広川さん、アオイからまだ聞いてなかった、とか……?」
あたしは泣きそうな顔で先輩を見上げることしかできなかった。
駅前のファミレスの前に到着するまで、ショックのあまり口もきけなかった。
先輩は気遣わしげにあたしを見ながら、あたしのトボトボした足取りに速度をあわせてくれた。
「……食欲ない?」
今日はやめておこうか、と言いながら、先輩はあたしの自転車のハンドルをUターンさせるべく方向転換させる。
「帰ろう。途中まで送るよ」
「…………」
うなだれたまま頷くあたしを、先輩は心配げに見ている。
もしかすると先輩はまた、発言に責任を感じているのかもしれない。
でもあたしは自分の気持ちで手一杯で、先輩に気を使う余裕を失っていた。
そして、なされるがままに来た道を戻りかけたところで。あたしたちは思いがけない遭遇をした。
「……ナっちゃん? それに、高梨くん?」
その声に、弾かれたように顔をあげる。
視線の先に立っていたのは、セーラー服の女の子と、そして――。
「アオイ……」
千鶴ちゃんとアオイが、連れ立ってそこにいた。
並んで駅舎の方から歩いてきたところを見ると、二人が待ち合わせていたらしいのは明らかだ
あたしは胸がズンと重くなるのを感じ、それ以上にさっきのショックが抜けきれないため、声も出せなかった。
千鶴ちゃんは明るい顔で、あたしたちの方へ駆け寄ってくる。
「うわぁ、偶然だね。もしかしてナっちゃんたちも、これからここ入るの?」
真横のファミレスのことを指して、千鶴ちゃんはたずねた。
あたしは少し後方に突っ立っているアオイの方に、一瞬だけ目を向けた。
アオイはひどく驚いた顔をしていた。千鶴ちゃんに続いてこっちへ歩いてくる。
「おまえら、何してんの?」
「…………」
とてもアオイをまともに見ることができず、つい視線を逸らす。
うつむいたまま押し黙るあたしに代わり、高梨先輩が言葉を返した。
「帰りに偶然会って、それで一緒に帰ることになったんだ。……ね、広川さん」
遠慮がちにあたしに声をかけ、あたしは黙ってそれにうなづいた。
「へえ……」
少しばかり戸惑いの混じったアオイの声。
あたしはアオイのスニーカーを視界の端にとらえながら、決して目を合わせまいと地面ばかりを見ていた。
一番困惑していたのは多分、隣に立つ高梨先輩だと思う。
この場の気まずい状況と、あたしのこんな態度の原因を理解しているのは、この場で先輩だけだ。
一方で、思わぬツーショットにただ驚いているらしいアオイと、いつもと変わらない様子の千鶴ちゃん。
千鶴ちゃんが重い空気を遮るように、軽やかに言った。
「ナっちゃんたちも、お昼これからでしょ? せっかくだし、一緒にどうかな? ね、アオイくん」
提案を投げられたアオイは、やや困惑した様子だった。
「……あ、ああ」
こっちの様子を気にしながら、千鶴ちゃんと一緒に店の中に入っていく。
あたしはその場に立ち尽くしたまま、動けなかった。
高梨先輩の気遣うような目線をいっそう強く感じながら、自転車のハンドルを握る手に力がこもる。
「……広川さん、やっぱりやめとこうか? 俺、適当に断ってくるし」
アオイたちを追って店に入っていこうとする先輩。
引き止めるように、あたしはその腕を後ろから引っ張った。
驚いた先輩に向かって、ゆっくりと首を横に振る。
「あたし、大丈夫ですから」
意を決して自転車を押すと、入口付近の自転車置き場に停車させる。
それからファミレスの中に入った。
土曜の昼時。
家族連れが目立つ賑やかなファミレスの中で、8番テーブルだけは神妙な雰囲気に包まれていた。
あたしと高梨先輩、アオイと千鶴ちゃんが隣り合わせに座った、四人がけのテーブル。
あたしの向かい側は千鶴ちゃんなので、アオイと正面から目を合わせずにはすんだけど、
正直千鶴ちゃんと顔をあわせるのだってラクじゃない。
場の空気は目に見えて気まずかった。
いつもなら盛り上げ役のアオイの口数は極端に少なく、あたしもあたしで押し黙ってうつむいたまま。
高梨先輩もあたしとアオイの板ばさみみたいな状態で困惑した様子。
千鶴ちゃんは既に何かを察した様子で、言葉を控えていた。
どことなく不機嫌な気配を漂わせているアオイをちらりと見やって、あたしは心の中で毒づいた。
(……なによ、嫌なら嫌って言えばよかったんじゃない)
千鶴ちゃんと二人のほうがよかったなら、無理にあたしたちと一緒に食べることなんてなかったのに。
あたしだって、ほんとはこんなメンバーでゴハンなんか食べたくない。
強がらずに高梨先輩と帰っちゃえば良かったんだろうけど、なんだかあのまま帰る気にはなれなかったのだ。
運ばれてきた料理を、各自ただ黙々と口に運ぶ。
あたしは味も感じないグラタンをかき混ぜながら、水をおかわりしてガブ飲みした。
その沈黙のテーブルで、アオイが業を煮やしたように口を開く。
あたしに向かって。
「……おいナツ、おまえ玉葱よけるな。ちゃんと食べろ」
グラタンに入っていた玉葱をきっちりよけていたあたしのお皿。それを指差しながら、アオイは言う。
「は? ……なに、やめてよこんなとこで」
眉をひそめるあたしに、アオイはえらそうに説教を始めた。
「作った人に失礼な残し方すんなよ。食べられないなら最初から注文すんなっていっつも言ってるだろ」
そう、確かにいつも言われていることだ。
その度に渋々言うこときいていたあたしだけど……。
「うるさいよアオイ。なんなの、親みたいな顔して偉そうに。こんな外でまで、最悪だよ」
「……な」
アオイは少々面食らった様子であたしを見た。
こんな風に反論されるとは予想外だったのだろう。
お母さんの言うことは聞かない時でも、アオイの言うことならいつも絶対にきいていたあたし。
日頃生意気に口答えしても、なんだかんだで彼に従順だった。
だけど、今日ばかりは違った。
「たとえコックさんに失礼な真似してあたしが恨まれたって、アオイにはこれっぽっちも関係ないよね?
1ミリも関係ないよね?」
アオイは持っていたオムライスのスプーンを置いて、あたしを厳しい目で見た。
「おまえ……、どうしたんだよ。どうしてこの間からそう反抗的なんだよ」
あたしは屈するまいと、その目を強く見返す。
「反抗的ってなにそれ。なんでもアオイの言う通りに動くとでも思ってたの?」
ピリピリしはじめた空気に、高梨先輩と千鶴ちゃんは、あたしとアオイの顔を交互に見比べて戸惑っている。
アオイは声こそ荒げないが、非常にキツイ口調であたしに言った。
「いい加減にしろよ。毎日毎日あからさまに膨れっ面しやがって、口を開けばそれか。不満があるならはっきり言えっつってるだろ?」
「なんでアオイに言わなくちゃいけないの」
「隠したいことがあるなら自由にすりゃいいけどな、追求されたくないなら中途半端に表に出すなっていってんだよ。周りの雰囲気悪くなるだろ」
「なにそれ。なにがあっても態度に出さずに、いっつもヘラヘラ笑ってろって言うの? 個人の気持ちより表面的な雰囲気が大事なの? アオイのいう家族ってそういうものなんだ」
「……違う。聞けよ。そうじゃなくて」
呆れたように息を吐いて、髪をかき上げるアオイ。
あたしは抑えようのない苛立ちから、吐き捨てるように言った。
「アオイはうまいよね。家族の前では何にも見せないもんね。ほんと、隠し事が上手だよ。あたし馬鹿だから、なにも気付かなかったもん」
――その瞬間。
アオイの表情が強張った。
同時に高梨先輩と千鶴ちゃんの顔色も変わる。
「……ナツ、おまえ、なんの話してんの? ……まさか」
あたしはアオイの言葉を遮るように言い放った。
「いいよもう! 別に個人のプライバシー暴こうなんて思ってないから。
これからもせいぜい上手く隠してればいいじゃん。アオイはそのほうが快適なんでしょ!」
「……ナツ」
さきほどまでの剣幕はどこへやら、アオイの顔は驚きと戸惑いでいっぱいだ。
動揺のせいか視線があからさまに揺れている。
それほどに、あたしにバレたことが意外だったのだろうか。
(やっぱり意図的に隠してたの?)
(隠しきれると思ってたの?)
さっき、高梨先輩の口から出た『東京』という地名。
そして先輩が語ったアオイの”志望大学”に、あたしは愕然とした。
アオイは町を出て東京に行くつもりなのだと知った。
――千鶴ちゃんと一緒に行くつもりなの?
――「この町に残る」って言ってたくせに……。
進路の問題と恋愛の問題はまるで次元が違う。
家を出て東京に行くとか、そんな重要なことをあたしたち家族に何も話さないまま、勝手に色々計画しているなんて、考えもしなかった。
あたしはカバンを引っつかんで席を立つ。
「アオイなんかもういい!」
大声で言い捨てると、周りの客の目も気にせずに走ってファミレスを出て行った。
「広川さん!」
高梨先輩の声が背後から聞こえるけど、戻るつもりなんて無かった。
ファミレスの敷地を出て、しばらく自転車を押したまま歩く。
だんだん足の速度も落ちてきて、どんよりとした気持ちが心を支配しはじめた。
(あたしって、最悪……)
そこへ、あたしを追って走ってきたのは千鶴ちゃんだ。
額に汗の粒を浮かべながら、あたしに追いつくと、少しホットしたような顔をして立ち止まる。
「ナっちゃん……」
息を切らしながら、呼吸が少し苦しそうだ。
あたしはその場で立ち止まり、千鶴ちゃんとは目をあわせずに突っ立っていた。
「ナっちゃんお願い、今はアオイくんのこと、そっとしておいてあげてほしいの」
「……え?」
千鶴ちゃんの口から出た言葉に、あたしは思わず眉を寄せる。
胸に嫌な感覚が広がるのを感じた。
「アオイくん、相当悩んでるし。いずれ時期がくれば、アオイくんだってちゃんと話すつもりだろうし……、
それまでは、お願い、どうか追及しないであげて……」
まるで自分のことを頼むように、真剣な顔。
千鶴ちゃんはあたしに向かって、手を合わせている。
その一生懸命な姿を見ながら、とてもヒステリックな気持ちが噴出した。
(――なに、それ)
気付いたときには、口に出していた。
「そんなこと言われたくない」
「……え」
千鶴ちゃんは当惑したようにあたしを見つめている。
「千鶴ちゃんにそんなこと言われたくないよ!」
目から溢れそうなものを必死で抑え、あたしは叫んだ。
「…………」
完全に言葉を失っている千鶴ちゃんを置いて、早足でその場を走り出す。
自転車に足をかけてサドルにまたがって、振り返りもせずにペダルをこいで逃げ出した。
――聞きたくない。千鶴ちゃんからそんなこと。
そういう言葉は、アオイの口から聞くべきことだ。
部外者の千鶴ちゃんに、間に入ってほしくなかった。
いくらアオイと千鶴ちゃんが付き合ってるのだとしても、あたしとアオイの関係にまで立ち入ってほしくない。
そんな形でなら何も聞きたくない。
そんな関係でしかないのなら、あたしはもういらない……。
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