ナ ツ ア オ イ

壊さないで 6



 千鶴ちゃんと別れて、まっすぐに帰宅したあたし。
 玄関扉を開けて中に入ると、ちょうどリビングから出てきたアオイと鉢合わせた。
 連日睡眠時間を削って猛勉強しているせいか、少し表情がヤツレ気味に見える。
 アオイはいよいよ、志望校を東京のK大に決めたのだ。
 昨日の夕食の席で、そのことをあたしたちに報告したばかりだった。
 お父さんとお母さんはさすがに驚いたけど、彼が将来の展望をはっきり持っていることを知ると、 二人ともすぐに納得した様子だった。
 これからは家族みんなでアオイを応援するという方向で、結束は固まっていた。
「遅かったんだな」
 何気なく言うアオイに、あたしは曖昧な返事を返す。
「……うん。ちょっと、ね」
 千鶴ちゃんの話を聞いた後、こうして顔を見ると、胸に広がる感情の波紋を抑えるのが難しかった。
 寂しさと、嬉しさと、それから……。複雑すぎて、泣きたいのか笑いたいのかわからない。
「ねえ、アオイ」
 廊下の床の上にカバンを置く。脱いだ靴を揃えてスリッパに履き替えると、あたしは言った。
「受験、頑張ってよね」
 改まってそんなことを言い出したあたしに、アオイは少し驚いたように目をパチパチさせている。
「あたし、アオイのこと誰よりも応援してる。あたしにできることなら何でもするから、何でも言って?  それでアオイは何も心配しないで、自分のことだけ考えてガツンと勉強に打ち込んでよ」
 『ガツン』と言いながら、体の前で気合いの拳を握ってみせる。
「ね?」
 ニカっと笑うあたしの顔を、何を思ったのかアオイはじっと見ていた。
「…………」
 微かに目を細めて茫洋(ぼうよう)とした、不可思議な表情をしている。
「……アオイ?」
 しばらく続いたその様子を不審に思い、あたしは彼の名を呼びかける。
 アオイはようやくハッとしたように何度か瞬きをし、それから目線を下げると薄笑いを浮かべた。
「……そいつは頼もしいな」
 そのまま背を向けて階段を登っていく。
 途中で一度立ち止まると、肩越しにヒラヒラと手を振りながら言い残した。
「期待を裏切らないよう頑張らせていただきマス」
 二階に消える背中を見送りながら、油断すれば胸に溢れる想いを、あたしはそっと抑えこむ。
 ――大丈夫。
 あたしたちはもう、元通りだ。 
 このまま、ずっと……。
 願いは叶えられたのだと、その時のあたしは信じて疑わなかった。



「そっかぁ。やっぱ広川先輩は東京か……。寂しくなるね」
 ――『寂しくなる』。
 あたしの気持ちを知る唯の言葉には、色々な意味がこめられていた。
 でもあたしは不思議と、落ち着いてアオイの進路を受け入れることができていた。
「寂しいけど、でもあたしはアオイに夢をかなえてほしいから、いいの」
「夢? そういえば広川先輩の夢ってなんなの?」
「……”学校の先生”、だってさ」
 ――『教師になりたい』。
 これは、アオイが夕食の席で皆に報告したときに言っていたことだ。 教育学科に進んで教員免許を取りたいのだと、アオイは熱く語った。
 色々調べたところ、地元の大学の教育学科より、K大の方がカリキュラムが充実しているらしい。 そのために彼は東京進学を決めたのだという。
 アオイが先生を目指しているという話は、あたしは完全に初耳だった。 子供の頃はありきたりに宇宙飛行士とか野球選手とか言ってたような気がするけど。
 でも、なぜだか自然に納得してしまった。
 学校の先生という仕事は、アオイには向いているかもしれないって思ったから。
「なるほどねぇ。先輩らしいよ」
「唯もそう思う?」
「思う思う。先輩って、面倒見良さそうだし、先生になって生徒に囲まれてる姿が頭に浮かぶもん」
 あたしも同じようなことを思い浮かべていた。
 皆に慕われて、けっこう熱血指導とかしながら、アオイの受け持つクラスはきっと、 どこよりも楽しいクラスになるんだろうな……。
 広がっていく、アオイの世界。
 遠くなっていくあの背中とともに、あたしはアオイの歩む道に思いを馳せる。
 あたしたち家族という枠を超えて、新しいアオイの居場所が、その頃にはきっとできあがっているのだろう。
 (――広がっていく世界、か)
 じわりと胸に湧き出す寂しさに、あたしは目を瞑る。
 今日配布された進路調査アンケート用紙のことを考えることで、なんとか気を強く引き締めた。
 長かった高校二年の夏は幕を閉じようとしている。
 それでなくとも、そろそろ自分の進路を真剣に考えなくちゃと思い始めていた。



 相変わらず登校してこない春香に会うべく、あたしたちは放課後、春香の家に向かっていた。
 このまま不登校にでもなったらえらいことだ。
「とにかく! どうにかして春香を学校に来させなきゃ!」
 鼻息も荒く意気込む唯に、あたしも強くうなづいた。
 だけど、事態は思わぬ方向へ向かうことになった。
 春香の家に向かっていたあたしたちのもとへ、一人の男子生徒が転がり込むように駆けて来る。
 相当慌てた様子で、ゼエゼエ息をしながら、駅に続く道を逆走してきた。
 竹井裕輔だ。
 気付いた唯があからさまに嫌そうな顔をした。
「なにしてんのよ。今日は忙しいんだから、あんたの相手してるヒマは無いの。さっさとそこをおどき!」
 道に転がる障害物でも蹴散らすように、唯が言う。いつもながら、竹井にはとことん容赦がない……。
 だけど今日は、竹井のほうの様子がおかしかった。
 激しくあがった呼吸の合間から、必死に声を出す。
「池内……、池内が、駅に……」
「……え?」
 思いがけず飛び出した春香の名に、顔を見合わせるあたしと唯。
「なに、春香が駅にいたの?」
 苦しそうな息を繰り返しながら、竹井はブンブンと首を縦に振っている。
「池内と一緒にいた奴、俺知ってる……」
「えっ、春香、誰かと一緒だったの? 誰と!?」
 唯は竹井の肩を掴んで、ガクガクと揺さぶった。
「ねえッ、誰なのよ!?」
「あ、ああ。確か、アイツ、先月まで俺らの予備校にいた、英語の、講師……」
「…………」
 再度顔を見合わせるなり、あたしと唯は速攻で駅に向かって走り出していた。
 ――春香が通う予備校の、元英語講師。
 ――春香と一緒にいた男……。
 それだけでもう既に、嫌な予感がプンプンしていた。
「――竹井!!」
 唯は思い出したように立ち止まり、竹井に向かって自分の携帯を放り投げる。
 まだゼエゼエ言っていた竹井は、慌てて手を伸ばし、ギリギリそれをキャッチした。
「あんた、川瀬に電話して事情話しといて! メモリ入ってるから!」
「……えっ、ちょっ、おい!?」
 うろたえる竹井を置いて、あたしたちは再び駅に向かって駆け出した。



 駅の裏手の小道にある、小さな喫茶店。
 そこに、春香はいた。
 というより、その中から突然春香が飛び出してきたのだ。
 竹井の情報をもとに駅周辺で春香を探していたあたしたちは、その現場に遭遇した。
 逃げるように、ものすごい勢いで喫茶店から出てきた春香。学校へは来なかったのに、制服を着てカバンまで持っている。
 あたしたちが春香のもとに駆け寄るより早く、店の中から男が一人、春香を追うように出てきた。
 やけに高そうなスーツを着た、見たことの無い男の人だ。社会人のようだけど、 まだ三十台前後くらいの若い人だった。
 その人が、春香の腕を強引に掴む。
「……だからさ、もう少し冷静に考え直して……」
「離してください! もうたくさん! もう二度とあたしの前に現れないで!」
 春香はその男の人から逃げようと、必死に抵抗してもがいている。
 あたしたちは、慌てて春香のもとに走った。
「――春香!!」
 春香はハっとあたしたちに気付き、目を大きく開く。
「ゆ、唯ちゃんに、ナっちゃん……?」
 唯が素早く、春香の腕を掴む男の手を引き剥がした。
 あたしは春香を腕の中に保護するようにかくまい、肩越しに相手の男を睨む。
 細身で、妙に気障ったらしい顔立ちをした男だった。 どちらかというと、サラリーマンというよりホストっぽい雰囲気が漂っている。
「あんた春香に何さらしてんのよ! 淫行罪で訴えるぞゴルァ!!」
 唯が鬼のような形相で叫ぶ。
 男は少し怯えたように、顔を引きつらせて後ずさっていた。
「……誤解されちゃ困る。僕はただ、彼女の相談に乗っていただけだ」
「なんの相談? 逃げ出す女の子とっ捕まえて、なんの相談してたって!?  なんならこれから一緒に警察言って説明してもらうよ!!」
 唯の剣幕に、男は完全に圧倒されていた。
 騒ぎを聞きつけてか、喫茶店の中から店主らしきおじさんが顔をのぞかせている。 通行人も疎らに集まってきて、少し遠巻きに様子をうかがっていた。
 焦った顔に汗を浮かべ、男はあたしの腕の中で怯えている春香に声をかけた。
「は、春香。ちゃんと説明してくれないか。きみの友人が何かおかしな誤解を……」
 春香はあからさまにビクリとして、あたしの腕を掴んでいた手にギュっと力を込める。
 その体は震えていた。
 春香の表情とその反応から、あたしは確信した。
 男のほうを思いっきり睨みつけて叫ぶ。
「さっさと消えろこの痴漢男! 二度と春香の前に顔出したら許さない!  うちのお父さん警察官なんだからね!!」
 とっさのデタラメを声高に叫びながら、あたしも少し震えていた。
「……冗談じゃない。話にならないな……」
 『痴漢』という言葉が効いたのか、通行人の白い目を浴びた男は、慌てて逃げ出した。


 微妙に人の集まり始めた道のド真ん中から。
 その時あたしは確かに、男を追いかけていく男の子の姿を、視界の端にとらえた。
「春香、恐かったね。もう大丈夫だから……」
 唯が歩み寄って、春香の肩に手を置く。
 春香の体から安堵したように力が抜け、へなへなとその場にヘタリこんでしまった。
 あたしは一緒にしゃがみこんで一息つきながらも、その走っていった男子のことが、とても気にかかっていた。
 軽く唇を噛んで彼が走っていった方角に目を向ける。
 即座に判断を下して、あたしは立ち上がった。
「唯、春香をお願い!」
 言うが早いか、春香のことを唯に預けて、人群れをかきわけて走り出す。
「……って、え、ナツ!?」
 当惑した唯の声が背後から聞こえていた。
 やや下り坂になっている線路沿いの小道を、全速力で走る。さっき見かけた人影を探しながら走った。
 踏み切りを越えて、川沿いの広い道に出る。
 工事現場に隣接した廃材置き場にまでたどり着き、ようやく『彼』を見つけることができた。
「――川瀬くん!」
 あたしの声にも振り返ることなく、その男の子、川瀬くんはそこにじっと立ち尽くしていた。
 彼の体の向こう側に、地面にお尻をついて追いつめられている男の姿が見える。
 さっきのあの男だ。
 どうやら逃げ場を失ったらしい。相当怯えた様子で背後のフェンスに背中をくっつけている。
 川瀬くんは右手の拳を握り締め、昂ぶる感情に震えているようだった。
「川瀬くん!」
 あたしがもう一度呼ぶと、川瀬くんは低い声で言った。
「……邪魔しないでくれるか、悪いけど。たとえ池内が許してもな。俺はみすみす見過ごしてなんかやらねぇ」
 川瀬くんは一歩、男に歩みを寄せる。
「大人なら自分のしたことに、きっちり罰は受けるべきだろ? ……なぁ?」
 拳をポキポキならしながら、凄みの聞いた低い声で男に詰め寄っていく。
 目が完全に座っている。威圧感があって、ものすごく恐い。
 中学時代、名の知れた不良だったという噂は、あながち間違いではなかったようだ。
 やけになったのか、男は髪を振り乱して叫び始めた。
「勘違いもほどほどにしろよ。全部合意だよ! お互い合意の上での行為だったんだよ!」
「…………」
 川瀬くんの肩がピクリと動いた。
「可哀想な春香チャン! おまえみたいな不良の彼氏を持ったせいで、随分悩んでたからね。 俺は相談に乗ってやっただけだ。その先のことは彼女も望んだことだった!」
「なっ……」
 この発言にいきり立ったのは、あたしだった。
「ふざけるな!!」
 あたしは川瀬くんに胸倉を掴み上げられた男のほうへ、大股で近付いていった。
「春香はそんな子じゃない!!」
 あたしはものすごく、くやしかった。
 長年友達をやってきて、予想外の展開に驚いて裏切られたような気分にもなったけど、 それでも春香は春香だ。
 長い付き合いだからこそ、どんな状況に陥っても見えてくるものがある。 同じ女としても、はっきり断言できることがあるのだ。
 あたしは勢いよくビシっと川瀬くんを指差しながら、男に向かって激しい怒声を浴びせかけた。
「春香はね、この川瀬くんのことがものすごく好きなのよ! それはもう心底大切に思ってるの!  その川瀬くんを裏切るようなこと、春香がするはずないんだ!!」
 相手の男はもちろん、川瀬くんまであたしの大声に驚いた顔をしていた。
「だいたい……、女の子は好きでもない人と、そんなこと望むわけないんだから。あの純粋な春香ならなおのこと、 ありえないんだよ! 春香を侮辱するな! この変態エロ親父!!」
 ハアハアと息をもらしながら、呆気にとられた男の顔を睨みおろす。
「広川……」
 男に負けず劣らず、かなりビックリした顔であたしを見ていた川瀬くん。
 だけど掴んでいた男が身じろぎしたので、すぐに視線を男に戻した。
「放せ! 暴行罪と名誉毀損罪で訴えるぞ! このチンピラが!!」
 川瀬くんは冷酷な目をして、男の首をガシっと掴んだ。
「ひっ……」
 ギリギリと締め上げるように、力を込める。
 これにはあたしも思わず息を飲んだ。
「いいか、二度と、池内の前にそのツラ見せんな。偶然だろうがなんだろうが、アイツの前に一度でも現れたら、 ぶっ殺す」
「くっ、あっ……」
 苦痛を訴える男のうめき。
 同時に川瀬くんの顔に浮かぶ、嗜虐的な笑い。
「……ああ、そうだ。なんならてめえの家庭にも、職場にも……、俺から詳細を報告しておいてやろうか?」
 その瞬間、首を掴まれたままの男の顔色が変わる。
 声も出せない状態で、首を左右にブンブンと振っていた。
「困るよなァ? ええ? てめえの身元くらい調べがついてんだよ! 妻子に知られたら終わりだろ!?  親父の会社潰されたら困るんだろ!?」
 川瀬くんは男の体を突き飛ばすように、掴んでいた首を放した。
 地面に転がった男は、首を抑えて激しくむせ返っている。
 その男のほうに、更に歩みを進めていく川瀬くん。
「――広川」
 振り返らないまま、あたしに言葉を投げかけた。
「な、なに」
 ゴクリと息を飲んで、あたしは彼の言葉に耳を傾ける。
 あたしは状況によっては彼を止めるつもりだった。春香が悲しむようなことをさせるわけにはいかないから。
 そのために追って来たんだけど……。
 川瀬くんは一言、あたしに言った。
「ここで見たこと、これから見ること、池内には絶対言わないでくれ」
「え……」
「頼む」
「川瀬く……」
 あたしが彼を止めようと、彼の名を呼ぶが早いか、川瀬くんは既に握り締めた拳を振り上げていた。
 その激情の塊が、男の左頬を凄まじい力で殴り飛ばす。
「…………っ!」
 目を覆うことさえ間に合わなかったあたしは、その光景をほぼ真正面から見てしまった。 生々しい音に、思わず体が萎縮してしまう。
 川瀬くんは、その、たった一発で終わらせた。
 一発といってもそれは、恐ろしい破壊力でもって男の顔面に直撃したのだけれど。
 もっともっと殴り飛ばしてボコボコにしたいくらい、はらわたが煮えくり返っていたに違いないのに。
 だけどその一発で、どうにか彼は怒りの矛先を収めたのだった。



 翌々日、春香は学校に登校した。
 そしてあたしと唯は彼女の口から、事の真相を聞くことになる。
 あたしたちは、春香の背負っていた思いがけない苦難を知った。
 川瀬くんと付き合うことは、あたしたちが思っていた以上に、春香に多大な負担を強いるものだったらしい。
 春香の言い分を聞こうともしないお母さんの執拗な詮索や妨害は、相当ストレスだったようで。
 更に、隠れてデートをしていたら、今度はかつての川瀬くんの不良仲間に絡まれて、 何度か危険な目にもあったのだという。
 春香のお母さんは春香の自由時間を拘束するために、彼女を予備校の夏期講習に通わせ始めた。
 色々とショックも重なった結果、春香はそれを期に、少しの間川瀬くんと距離を置こうとし、 彼女を危険な目に合わせたことに責任を感じていた川瀬くんも、それに応じた。
 そんなとき春香は、少し前まで予備校の英語講師をしていた旧知の男性に、相談に乗ってもらうことになる。
 高校受験で世話になったとかいう、あの元塾講師の男は、 春香のみならず春香のお母さんの信頼も厚い人物だったらしい。
 下心にも気付かずに、あいつを信じきっていた春香。
 ある日ついに部屋にまで連れ込まれ、知らないうちにアルコール飲料を飲まされて……。
 聞いていて耳を覆いたくもなったけれど、大まかな流れはそんなものだった。
 春香はすぐに、川瀬くんに全てを打ち明けたらしい。
 だけど『もう付き合えない』という申し出を、川瀬くんは受け入れなかったのだそうだ。
 彼は最初から春香を許すつもりだった。さすがに、妊娠検査薬の話は寝耳に水だったようだけど……。
 春香によって語られた話は最後まで衝撃的だった。
 彼女の言葉を聞きながら、唯は泣きながら怒っていた。なんで一言相談してくれなかったのかって。
 あたしも唯と同じ気持ちだった。
 だけど、一人で抱え込んでしまったことは、春香の性格を考えれば無理も無いことのように思えて。
 唯をなだめながら、あたしは結局何も言えなくなってしまった。


 春香と川瀬くんは多分、あれから二人で話をしたんだと思う。
 辛い話を頑張ってしたんだと思う。
 時間をかけて、二人は乗り越えることができたのだろう。
 しばらくたってから、二人で並んで下校する姿が見られるようになった。
 春香の顔に少しずつ笑顔が戻って、川瀬くんのことをまた頬を染めて話すようになった。
 ご両親のこととか、まだまだ問題は山積みみたいだったけど、 春香と川瀬くんの絆は前より強いものになっているように見えた。
 二人ならなんとかできるんじゃないかって、そんな風に思うことができるくらいに……。
 いざという時は自分もご両親を説得するからと、唯は激しく息巻いていた。
 あたしはまた三人で騒いで笑えるようになったことがすごく嬉しくて……。この日常のありがたさを改めて 実感したりしていた。



 ――長かった夏が終わる。
 空に浮かぶ雲がしだいに薄くなり、低くなっていく太陽の光からは少しずつ勢いが削がれていく。
 八重里の町には柔らかな日差しが降り注ぐようになった。
 風が涼しくなって、秋の虫の鳴き声が聞こえ始める頃。
 あたしたちの関心事はすっかり、自分たちの進路の問題になっていた。
 進学か就職か、既に大きく二つに分かれつつある同級生達の道を傍から眺めつつ、 あたしはまだ自分自身の進路をはっきりと思い描くことができずにいた。
 季節の変化は少しずつ着実に、生活の色をも変えていく。
 そして思わぬ別れが……、アオイとのどうしようもない別れ道が、すぐそばにまで迫っていたのだった。





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